今月の文芸誌 もつれそうな多様性をすっきり読ませる平野啓一郎の長篇

レビュー

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もつれそうな多様性をすっきり読ませる平野啓一郎の長篇

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


文學界2018年6月号

 平野啓一郎の長篇「ある男」(文學界6月号)は、総合小説の試みの成功例として記憶されるのではないかと思う。総合小説とは、村上春樹がよく口にするが、様々な人々の複数の物語の絡み合いにより、人間及び社会ひいては世界の普遍性や新しい価値を描出した小説のことだ。

 平野の「ある男」は、小説家である「私」が、城戸章良という不思議な弁護士から聞いた話を虚構化したものだと前置きされて始まる。城戸はかつて里枝という女性の離婚調停をした。二歳の次男を脳の難病で亡くした里枝は夫との離縁を望み、その調停をしたのだ。里枝は実家に戻り、谷口大祐という男と再婚し一女を儲けるが、谷口も事故で失ってしまう。ところが死後、谷口は別人のなりすましだったことが判明する。谷口となり生きていた男は誰なのか。里枝から相談を受けた城戸はこの男“X”の追求に動く。

“X”の謎を軸に、里枝の物語、在日三世である城戸自身の物語、“X”の裏に潜む男たちの物語が、それぞれの家族の問題も含めて交錯する。さらに彼らの背景にある社会問題まで絡めて描こうとされているのは、変えようのない過去と、ありえたかもしれない複数の未来の中で、今このようにしか存在していない自分と他者をどう受け留め肯定するかという人生の可能性と愛の連続性をめぐる問いだ。

 もつれそうな多様性をすっきり読ませているものは、この小説が採るミステリの構造だろう。折しも高村薫「小説の現在地とこれから」(新潮6月号)で、純文学とエンターテインメントの境界の溶解について説いている。純文学がエンタメに吸収されたというのが高村の認識だが、見方によっては、松本清張や水上勉らの社会派推理小説の登場を受けて1960年代に起こった純文学論争の反復に過ぎないとも言える。

 北条裕子の群像新人文学賞受賞作「美しい顔」(群像6月号)が話題だ。東日本大震災を被災者の主観から描くことに挑んだ、希有な新人の登場を感じさせるこの作品も、いかに過去を受け容れ現在に対峙するかという主題を共有している。

新潮社 週刊新潮
2018年6月21日早苗月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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