ゴンゾオ叔父 小沼丹(おぬまたん)著
[レビュアー] 勝又浩
◆あるがままの文章 小説の原点
小説には、さまざまな工夫を凝らし、文章の綾(あや)も尽くして読者を楽しませるものもあるが、逆に、余計な飾りや技巧は排して、あるがままを淡々と述べて行く方向がある。リアリズム精神がそういう方法を採らせるのだが、そうしたスタイルを代表する作家の一人がこの小沼丹である。オビに「生誕百年記念刊行」と謳(うた)っているが、没後も早二十三年になる。
しかしこのごろの、作りがますます精妙で技巧も達者になった小説群のなかに置いて見ると、かえって新鮮、ああ、ここに文学の、小説の原点があるのだと、改めて思う。
そう感ずるのは私だけではないのであろう、本書巻末の広告の頁(ページ)には、随筆集も含めて小沼本が五冊も挙げられている。読者の確実な支持があるのだろう。小沼丹の文学は今ますます、存在意義を深めているのかもしれない。
本書に収められているのは昭和十九年から敗戦を挟んで十数年のあいだに、主に同人雑誌や『早稲田文学』に発表された、いわゆる習作期の短篇。作者が大学を卒業して教員勤めを始めたころの十篇である。少年時の田舎でのエピソード、友人たちが次々に徴用出征してゆくなかでの学生生活、退廃と倦怠(けんたい)に沈面する日々、郊外地での空襲の来るなかでの療養生活と、描けなくなった画家との挿話、都会を焼け出されて移ってきた理髪店一家との淡い交流等々、作者自身の体験や周辺の見聞が描かれている。いずれも淡彩なスケッチのなかに、しかし時代の影を色濃く映していて、小沼小説の得意なスタイルはこんな初期から既に出来上がっていたのかと思わせる完成品ばかりだ。
ところで、本書には詳細な解題があって、これらの作品の多くが後に手を加えられ書き直され、タイトルも改められて文芸誌に再発表されたことが明らかにされている。それで確かめてみると、習作のここぞと見えたところが、改作では消えていたりしてびっくりする。自然体であるためにも、こうしたたゆみない努力や工夫が必要なのだと、改めて思い知ることになる。
(幻戯書房・4320円)
1918~96年。小説家。著書『白孔雀(くじゃく)のいるホテル』『椋鳥(むくどり)日記』など。
◆もう一冊
小沼丹著『懐中時計』(講談社文芸文庫)。親しい友の死を悼む表題作など11篇。