鷹見泉石(たかみせんせき) 片桐一男著

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鷹見泉石(たかみせんせき) 片桐一男著

[レビュアー] 長山靖生(思想史家)

◆蘭学を治世に生かした家老

 渡辺崋山(かざん)の「鷹見泉石像」は強い意志と知性が印象的な肖像画だが、描かれた泉石は古河(こが)藩主の土井利厚(としあつ)、利位(としつら)の二代にわたり家老として仕えた。本書は泉石が残した日記や書簡、古記録などに丹念に当たり、その蘭学理解者、政治家としての業績を明らかにするとともに、開国前夜の上級武家社会を活写している。

 土井利厚、利位はいずれも幕府老中を務め、それを支える泉石も江戸後期の重大事件に深く関わった。そのひとつが文化元(一八〇四)年、交易を求めて長崎に来航したロシア使節レザーノフへの対処だった。利厚はこの件の専管老中となり、近習(きんじゅ)だった若き日の泉石は情報収集に奔走した。泉石は長崎奉行の報告を待つ一方、幕府の秘庫で先例史料をあさり、長崎通詞(つうじ)や地役人から現場の詳細な情報を引き出そうと努めた。

 事件後も泉石は、海外情報の収集や地図の入手に努め、蘭学者やオランダ人、さらにはシーボルトへと人脈を広げていく。彼が収集、蓄積した情報は、やがて黒船来航以降の幕政にも役立った。また泉石は、蘭学で得た知識を主家のために活用。『日光駅路里数之表』という一種の時刻表も作成している。

 土井利位は、雪の結晶を描いた『雪華図説(せっかずせつ)』の著者でもあるが、これも泉石が顕微鏡や参考文献を揃(そろ)えて手伝っている。しかもこれらは、土井家から将軍家への献上品とされ、古河藩の名を高めるのに役立った。あるいは泉石には、これらを通して幕府上層部に蘭学の有用性を印象づけ、抜本的な異国対策に踏み出すよう願う気持ちがあったのかもしれない。

 また大塩平八郎の乱では、大坂城代だった利位を補佐して迅速に情報を収集、大塩父子の潜伏場所をいち早く割り出し、町奉行に知らせた。その一方、泉石は日記に庶民が大塩に感謝していることを記し、奉行所には生きて捕縛(ほばく)するのが望ましいとも伝えている。有能な治世者の顔と、知識人としての良識が交錯する局面だ。破綻のないその生涯にも、数々の秘(ひそ)かなドラマがあった。
(中公叢書・2160円)  

1934年生まれ。青山学院大名誉教授。著書『出島遊女と阿蘭陀通詞(おらんだつうじ)』など。

◆もう1冊 

吉村昭著『落日の宴(うたげ)-勘定奉行川路聖謨(かわじとしあきら)』(上)(下)(講談社文庫)

中日新聞 東京新聞
2019年3月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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