書くことに苦悩する作家が小説と格闘する物語 谷崎由依『藁の王』

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藁の王

『藁の王』

著者
谷崎由依 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103523710
発売日
2018/03/29
価格
1,980円(税込)

書くという森を行く

[レビュアー] 櫻木みわ(作家)

 書く、創作するとはどういうことか。『藁の王』を読むことは、小説家の「わたし」と共に、それについて考えぬく経験そのものだ。それはまた、春から春への一年間の、絶え間ない揺らぎの体験でもある。語り手の「わたし」は、書くことに囚われつつ書けないという、苦しい状態にある作家。大学の創作学科で教えはじめて二年目だが、教師という役柄にまるで慣れることができずにいる。その揺らぎの観察と述懐は、息苦しくなるほどこまやかで、内省的だ。

「わたし」の揺らぎは、創作ゼミに集まった、子どもと大人の狭間にいる生徒たちによって激しさを増す。とりわけ自身のなかのある記憶を呼び起こす、ふたりの女子学生によって。そのうちのひとり、魚住エメルはおもしろい。「アネモネのような」薄い生地のスカートと十字架のネックレスを身につけた彼女は、「先生のように立派な作家のもとで」教わりたい、と「わたし」の前にあらわれる。彼女はなぞめき、予想外の動きをとりつづけて、「わたし」を揺さぶる。この一年間の変遷はすさまじい。そしてエメルが最後にする決断の、あざやかさときたら!

 書く者、書こうとする者は、自らの指標とも呼べる本や言葉を、心のなかに携えているものだ。本作のなかで示される古今東西の豊かな文献のなかにも、そうしたテキストを見いだすことができる。自分自身の話をすれば、私にとってのそれは大江健三郎の随筆で出会ったデュアメルの、若い作家志望者への語りかけだ。「それぢや、まづ第一に生活なさいよ。さう、人生の乳房からたつぷり乳をお飲みなさい」!(『文学の宿命』渡辺一夫訳)。私にはエメルの決断が、まさにこの、人生の乳を飲む航路への意志的な出発に感じられた。「わたしはわたしのやり方で」、いますぐにではなかったとしても、きっと彼女は書くのだろう。

 ここにはもうひとり、油断のならない書き手がいる。それは、この揺さぶられ、あばかれる過程をつぶさに書いた語り手の「わたし」、そのひとだ。終盤、「わたし」はエメルをみて気づく。「森だ、と思った」。「まるで縁遠いものと思われた彼女のなかに、それは宿っていた」。作中、常に存在し、おそれられもする「森」は、書く者のなかにある、創作の源泉としての森だと読むこともできる。森のなかでは人が殺される。それは共同体をあたらしく、強靭に保つための生贄、本作のタイトルにもなっている「藁の王」だ。「わたし」がみずからの「森」のために生贄として燃やした「藁の王」は、エメルであり、生徒らではなかったか、と私は思う……。

『藁の王』の作中で出されたゼミの課題に応えるかのような「鏡の家の針」、ルームメイトとの春の日々を描いて性と死の気配を浮かびあがらせる「枯草熱」、旅先でのおもたく奇妙な出来事に連れてゆかれる「蜥蜴」。併録の三編と共に、読み手の腹のなかにも「森」を探りあてようとするかのような、たくらみに満ちた作品集だ。

河出書房新社 文藝
2019年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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