21世紀の音楽からは〈衝撃〉が失われてしまった イギリスの現代思想家マーク・フィッシャーによる文化論

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わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来

『わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来』

著者
マーク・フィッシャー [著]/五井健太郎 [訳]
出版社
Pヴァイン
ISBN
9784909483188
発売日
2019/01/31
価格
3,190円(税込)

幽霊という名の希望

[レビュアー] 後藤護(映画・音楽ライター)

「失うことが失われた時代」――フィッシャーは現代をそのように定義する。イメージ・アーカイヴや動画サイトの発達がもたらしたものは、過去のどの時代のプロダクトも同時に並列存在するようなネットワークの時空間であった。その結果、直進する文化的な時間は乱れ、「進歩」の感覚は喪失した。このような文化的な時間性の危機を、フィッシャーの盟友S・レイノルズは「反時間性(デイスクロニア)」と名付け、それに随伴するノスタルジー狂いの時代傾向を「レトロマニア」と呼んだ。これを踏まえてのフィッシャーの以下の指摘が本書導入の鍵となる。「この反時間性(デイスクロニア)、つまりこの時間的な分離には、とうぜん不気味さの感覚が伴うことが予想されるわけだが、しかし目下における、レイノルズが『レトロマニア』と呼んでいるものの支配が意味しているのは、それが不気味(アンハイムリツヒ)な負荷を失っているということである。つまり、アナクロニズムは、いまや当然のものとなっているのである。」

「レトロマニア」とは「不気味なもの」(フロイト)を喪失し平板化したポストモダン社会が産み落とした必然であった。ゆえにフィッシャーは、フロイトが「ES(それ)」と呼んだ非人称的な不気味な力を賦活するため、「幽霊」の存在を感知する作業に取り組むことになる。本書ではジャック・デリダが『マルクスの亡霊たち』で発明した、憑依(haunt)と存在論(ontology)を組み合わせた概念である「憑在論(hauntology)」を鍵語とし、それをポップ・ミュージックの世界に適用するかたちで、デジタルな音源からアナログな身体性が感知されるものを「憑在論的な音楽」と名指していく。

 具体的にはベリアルやザ・ケアテイカーなどを例にとりながら語られる、「ダブ」と「クラックル・ノイズ」という二つの音楽技法が「音の亡霊」を露わにする。「ダブ」とはミキシングの際に既存の音に強いエコーやリヴァーヴをかけて別ものに仕上げる技法であるが、「ダビング」という言葉からも明らかなように、それは存在しているものの再現前化であり、既存の音を二重化/幽霊化して操作する謂いに他ならない。また「クラックル・ノイズ」とはLPレコードの表面に現れるノイズのことであるが、デジタルな楽曲においてこれをサンプリングして露わにすることは、アナログな物質性を抑圧せず前景化させる「唯物論的な魔術」(フィッシャー)であるという。つまり「デジタルに浮かび上がるアナログの幽霊」という二重性をフィッシャーは「憑在論的な音楽」と呼んだわけだが、これは元のフランス語であるHantologieでは「h」の音が脱落してともに発音が「オントロギ」となる存在論/憑在論の二重性を身振りしている。

 ところでフィッシャーは「憑在論的な音楽は、未来に対する欲望を手放してしまうことにたいする拒絶」であると書きつけた。そして本書解説で髙橋勇人は、「フィッシャーの文章には絶望的現状と同時に、そこで確実に光る希望もある」と書いている。『資本主義リアリズム』という絶望の裂け目から出てきた希望こそが「幽霊」なのである。

河出書房新社 文藝
2019年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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