名探偵の行く先々で事件が起こる展開を逆手に取った、芥川賞作家・藤野可織の新作とは?

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ピエタとトランジ <完全版>

『ピエタとトランジ <完全版>』

著者
藤野 可織 [著]/松本 次郎 [イラスト]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784065185025
発売日
2020/03/12
価格
1,815円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

恐怖と笑いが共存するアポカリプス思考実験

[レビュアー] Mami(Podcast「バイリンガルニュース」)

「ガールズ・エンターテイメント!」「女子バディ物語」という本書の宣伝文句から受けていた印象と、実際の内容があまりにかけ離れていて驚いてしまった。

 これはそんな軽快なタグラインからは想像もつかない、壮大な思考実験である。

 2013年発売の『おはなしして子ちゃん』に短編として収録されていた「ピエタとトランジ」では、女子高生だった二人の出会いが描かれていた。どんな事件も一瞬で解決してしまう天才トランジと、自己中でアホっぽいが素直で憎めないピエタ。「カラコン似合ってない。キモいよ」などときつい言葉をぶつけあいながらも常につるんでいる様子は、自分が高校生だったときの記憶を蘇らせ、甘酸っぱい気持ちにさせてくれる。

 そんな二人の青春は大量の人々の死によって彩られている。トランジはただの名探偵ではなく、事件そのものを誘発してしまう特異な体質を持っているのだ。だから彼女の周りでは人がバタバタ死ぬ。びっくりするぐらい死ぬ。笑っちゃうぐらい死ぬ。そしてトランジが淡々と事件を解決するのを、ピエタはなによりもおもしろがり、応援している。

 短編ではそんな二人がとても愛おしく可笑しくて、そのままの軽い気持ちで完全版を読み始めたら、度肝を抜かれた。

 冒頭で言った通り、完全版は思考実験である。女子二人がキャピキャピするガールズ青春ものではないし、正義の名のもとに事件を解決し犯人に説教したりする話でもない。誰が犯人なのか? というミステリーでもない。

 完全版を読み進めるにつれ、ピエタとトランジの「死」というものへの無頓着さを、彼らの若さや全体の雰囲気を理由にすんなり受け入れていた自分自身に対し、じわりと疑問が湧いてくる。二人の人格や思考の流れが数十年という長い月日をかけて展開され、短編を読んだときの自分の解釈が徐々に崩されていく。

 名探偵の行く先々で偶発的に事件が起きるのではなく、名探偵の存在自体が事件を誘発していたら? そしてそれを本人が認識していたら? 名探偵の助手が、ワトソンやヘイスティングズとは違って極端に共感力がないタイプだったら? 名探偵と助手の価値観が、一般的なものとはズレていたら? そしてその二人が年を重ねていったら?

「この小説は一体どこへ向かっているんだろう」なんてこちらが驚いている間に、物語はコメディ、ホラー、そしてハリウッド的アポカリプス(!)とジャンルを軽々と飛び越えて突き進む。ぶっとんだ展開のなかでも、ピエタのふとしたセリフの端々に、あまりの共感で心にぐさりと刺さる一言や、現代社会に対する核心を突く疑問が、確実に、でもさりげなくちりばめられている。

 ピエタとトランジはずっと変わらない。誰の基準でもない、自分たちの価値観で人生を築いていく。共感できるようで突き放される、怖いけど笑える、モヤモヤするが清々しい。なにが正しくてなにが間違っているのか、それは誰が決めるのか。皆さんはこの思考実験、どう進める?

河出書房新社 文藝
2020年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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