十返舎一九に滝沢馬琴、東洲斎写楽、葛飾北斎も出世する前は、悩み、妬み、泣いた

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とんちき 耕書堂青春譜

『とんちき 耕書堂青春譜』

著者
矢野 隆 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103340737
発売日
2020/12/16
価格
1,815円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

嫉妬する天才たち

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

細谷正充・評「嫉妬する天才たち」

十返舎一九に滝沢馬琴、東洲斎写楽、葛飾北斎が才能を開花させるまでの過程を描いた『とんちき 耕書堂青春譜』が刊行。江戸時代の「トキワ荘」ともいえる蔦屋重三郎の店「耕書堂」に集った天才たちが、悩み、妬み、泣いた青春時代の出来事を堪能できる本作について、文芸評論家の細谷正充さんが読みどころを語った。

 ***

 幾五郎・鉄蔵・瑣吉・斎藤十郎兵衛。彼らは後に、それぞれ別の名前で広く世に知られるようになる。現代でも多くの人が、当たり前に知っている有名人なのだ。矢野隆の新刊は、この四人の、まだ何者でもない青春時代を描いた快作である。

 物語は、章ごとに視点人物を変えながら進行する。まず最初は幾五郎だ。「己のやりたいことを気ままにやって、毎日楽しく過ごす」ことを望みとする幾五郎は、侍を辞めて浄瑠璃の作者を目指す。しかし湿っぽい話ばかり書かされ、うんざりしていた。滑稽本に出会い、これだと思った彼は江戸に出ると、地本問屋「耕書堂」に転がり込む。そこで主の蔦屋重三郎から、絵師の鉄蔵と一緒に、瑣吉という男を捜すよう頼まれる。阿波蜂須賀家のお抱え能役者で、絵が好きな斎藤十郎兵衛を加え、幾五郎たちは瑣吉を見つけるのだった。

 といったストーリーにより四人を紹介して、作者はそれぞれの創作者の内面を抉りだしていく。続く第二章では、自分の作風が時代に受け入れられない瑣吉の苦悩が、彼の根暗な性格と共に、鮮やかに表現されていた。

 以下、第三章では、商売を始めとして多様な才能を見せる幾五郎の心底が暴かれる。彼が何事にもきちんと取り組めるのは、それがすべて創作の糧になると思っているからだ。現実は戯作に昇華させるためのものという幾五郎の在り方から、創作者の業が浮かび上がってくる。

 作者が巧みなのは、そこに幕府から手鎖の刑を受けてから、やる気を失っていた山東京伝の再起を重ね合わせていることだ。耕書堂に集う四人だけでなく、その周囲にいる名を成した人々も、重要な役割を担っている。第四章では、娯楽を締めつける幕府の政策に反発する重三郎が、東洲斎写楽を生み出した理由が綴られている。

 それを受けて第五章は、写楽役を引き受けた十郎兵衛が、自分の内面をぶちまけ、新たな役者絵を誕生させる。いつも仏頂面で理屈屋の十郎兵衛は、幾五郎たちとは微妙に距離があった。しかし彼も本物だ。苦悩の果てに、創作者として覚醒する場面が強烈なのである。

 だが写楽の絵を、認めない人もいる。第六章では、当代一の人気浮世絵師・喜多川歌麿が、写楽の絵を激しく嫌いながら、その正体をつかもうとする。その心の奥にあるのは、自分にない世界を持つ創作者に対する嫉妬だ。漫画の神様といわれる手塚治虫は、新たな才能を持つ若い漫画家を、常に意識していたという。功成り名を遂げようとも、創作者の業はなくならない。多角的に捉えられた業が、本書の読み味を深いものにしているのだ。

 これが本書の縦糸なら、横糸は、長唄の師匠の首吊りを発端とする事件である。鉄蔵の長屋を訪ねた瑣吉が第一発見者となった首吊り騒動。当初は自殺と思われたが、ある疑惑が持ち上がる。これに興味を抱いた鉄蔵は、しつこく真実を追っていくのだ。

 強引な性格で、幾五郎たちの兄貴分におさまっている鉄蔵。いままでのエピソードにも積極的に顔を突っ込み、事態を煽ったりしてきた。そんな鉄蔵が、長屋の隣に住んでいたとはいえ、なぜ長唄の師匠の一件にこだわるのか。第七章で、ついに鉄蔵がメインとなり、幾五郎と通底する創作者の業が露わになっていく。かなり曲折のある展開で読者の興味を惹きつけながら、絵を描かなければ生きていけない鉄蔵の肖像を、見事に表現してのけたのだ。

 江戸一番の出版社ともいうべき耕書堂に、戯作者や絵師が集まったのは当然のことだろう。作者はその事実をベースにしながら、四人の男の魅力的な物語を創り上げた。自分の才能に対する自負と不安。どうなるか分からない未来への期待と恐れ。時代も場所も関係なく、若者ならば誰でも抱くであろう感情が、ここに刻まれている。だから、幾五郎がいう、

「こんな定まりきった世の中なんざ、ちっとも面白くねぇ。だからよぉ、面白ぇ物でも書いてなけりゃ、やってらんねぇよな」

 というセリフが胸に響くのだ。そして読者の立場としては、本書のような“面白ぇ本でも読んでなけりゃ、やってらんねぇよな”と、いいたくなってしまうのである。

新潮社 波
2021年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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