メキシコシティ、ジャカルタ、川崎を結ぶ圧巻のダーク・キャピタリズムの物語――佐藤究著『テスカトリポカ』(木澤佐登志 評)

レビュー

6
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テスカトリポカ

『テスカトリポカ』

著者
佐藤 究 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041096987
発売日
2021/02/19
価格
2,310円(税込)

書籍情報:openBD

闇の資本主義(ダーク・キャピタリズム)

[レビュアー] 木澤佐登志(文筆家)

 もし中上健次が現代に生きて血と暴力で塗られたクライムノベルを書いたらどうなるだろう、などという益体もないことを思わず考えてしまう。ただし、舞台となるのは土の匂いが立ち昇る熊野の路地ではない。フォークナーの『八月の光』でリーナが「あら、まあ。人ってほんとにあちこち行けるものなのねえ」(加島祥造訳)と言ったことが今さらのことのように思い起こされる。グローバル時代を生きる、社会に居場所のない日陰者たちともなれば話は尚更だ。

 メキシコシティとジャカルタと川崎の路地が結ばれる。多摩川とリオ・グランデ川の軌道が重なり合う。スペイン語とインドネシア語とナワトル語と日本語が混じり合う。都市と都市、路地と路地。南米とアジアを結ぶ太平洋の航路。人間たちと物資を運ぶ網の目のネットワーク。途切れることのない交通(トラフィック)の流れ。

 そう、そこかしこに流れがある。世界各地の口座を駆け巡る金の流れがある。ダークウェブに遍在する暗号化されたビットの流れがある。コカインを運ぶ密輸船の流れがある。暗い多摩川の流れがある。そして、血の流れがある。

 血(ブラッド・キャピタリズム)の資本主義(ブラッド・キャピタリズム)。カルテルと麻薬密売人(ナルコ)、中国系マフィアとイスラム過激派、ベトナム系犯罪組織、等々が市場占有率(シェア)を競い合う惑星規模の戦争(ゲーラ)。さらに、そこに介入しようとする麻薬取締局(DEA)と中央情報局(CIA)の権力闘争が加わる。オーストラリア人が運営するダークウェブ上の小児性愛死体愛好者(ペドネクロフィリア)コミュニティでは、子供の頭蓋骨を加工した装飾品が取引され、その金は日本の川崎を経由してホーチミンの麻薬密売人(ナルコ)の手に渡る。

 血の資本主義(ブラッド・キャピタリズム)においては、ありとあらゆるものが商品になりうる。そこでは人間すらも生きた商品のパッケージにすぎない。眼球一個につき十万円。膵臓五百万円。骨髄一グラムにつき二百万円。靭帯五十万円。血液一リットル三万円。等々……。だが、人体部品市場(レッド・マーケット)においては、心臓に最高の値がつく。新鮮な心臓、それは人体のダイアモンドに他ならない。マクルーハンすら想像しなかったであろう暗黒地球村(ダーク・グローバル・ヴィレッジ)を心臓密売人(コラソン・トラフィカンテ)たちが暗躍するとき、征服者(コンキスタドール)によって滅ぼされたアステカの亡霊が回帰する。

 亡霊が出口(イグジット)なしの資本主義世界を徘徊しだす。――王国(アステカ)の神の亡霊が。資本主義リアリズムに神への供物と人身供犠の体系(システム)が統合される。資本と太古の神に差し出された生贄の心臓の下で、血の盟約が交わされる。血の流れ、それは血の系譜でもある。家族(ファミリア)。血の呪いと宿痾。

 これは家族の物語である。それと同時に、父殺しの物語でもあり、神殺しの物語でもある。どうしようもなく孤独なひとりの人間が、家族を求め、みずからの心の臓を神に捧げようとする話である。

河出書房新社 文藝
2021年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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