被災の現実には届かない。 それでも作家はもがきつづける

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ゼロエフ

『ゼロエフ』

著者
古川 日出男 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784065227930
発売日
2021/03/05
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

被災の現実には届かない。 それでも作家はもがきつづける

[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)

 ひとりの作家が肉体を酷使して、福島県と宮城県の被災地を歩きつづけた。夏の酷暑のなか、中間貯蔵施設へむかうダンプがばんばん走る、歩道もしばしば途切れる危険な国道の脇を、である。

 なぜか? 作家は福島県のシイタケ生産業者の家の出身だ。旅立ちの動機の根底には、この私的な出自の記憶がある。ただ、作家は出自に触れることをおそれている。なぜならば、そこに触れると自分自身を真剣に見据え、自らを語らなければならなくなるからだ。そのうえで作家は立ちあがる。母の死を看取り、墓のなかに祖母より前の世代の遺骨がないことに気づき、シイタケ生産業を継いだ兄に取材し、旅に出る。

 テーマは記憶、過去、未来だろうか。作家は徒歩、つまり肉体に経験を打刻することで被災地を理解しようとする。被災者から聞きとる話に反応し、肉体からはおのずと言葉が生まれでる。無論、作家だから、その言葉を何よりも大事にするのだが、でもそこで一歩ひいた視点から客体視し、自らの言葉が被災の現実にとどいていないことに絶句する。現実と言葉のあいだにひらく隙間から洩れてくる呻き。そこから思想を紡ぎ出そうとして、もがきつづける。

 記憶は頼りにならないと再三にわたり指摘されるが、この本で語られるのは、じつはすべて記憶でもある。被災者の記憶、本人の記憶……。記憶をたどり、その先にあるはずの「真実」を見つけようとしても、頼りない記憶の奥には空虚が穿たれており、届かない。しかし思考とは結局のところ、経験では到達できない先っぽにあるこの部分を、言葉によって埋めようとする営みのことではないだろうか。

 気づくと一緒に息苦しい思いをしている自分がいた。胸にただよう霧を、一緒になってとりはらおうとしている。文体の力強さ、行為のひたむきさが、そうさせる。読みながらともに歩む。そんな本である。

新潮社 週刊新潮
2021年9月30日秋風月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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