可燃ごみ

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滅私

『滅私』

著者
羽田 圭介 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103361121
発売日
2021/11/30
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

可燃ごみ

[レビュアー] ふかわりょう(タレント)

ふかわりょう・評「可燃ごみ」

 減量を止めようと思ったのは、いつの間にか、心までも痩せてきている気がしたから。生活リズムに運動する時間が加わると、食事もストイックになり、みるみる足は細く、腹は凹み、20代の頃の体形が鏡に映し出される夜。しかし、神経まで痩せてしまったのか、些細なことで不安定になり、スリムな健康体を手に入れた代わりに、おおらかさを失ってしまったのではないか。私の性格が大きく影響していると思いますが、こんなことなら、元の体形に戻った方がいい。余分な贅肉は、必要なものだったのかもしれない、と。

 十数年前に海外を訪れた際のこと。スマートホンが繋がらず、社会と遮断されたようで、気もそぞろに。しかし、数日すると心境に変化が。不安はなくなり、むしろ体が軽くなりました。多くの繋がりから解放され、身も心も自由に旅するアイスランド。繋がっていないことが、むしろ心地良い。たかだか百数十グラムの端末が、心にどれほどの負担をかけていたことか。断捨離が流行るのは、こうした、端末経由の繋がりが心を占拠し、負担になっているからかもしれません。

 私は片付けるのが苦手なうえ、モノを溜め込んでしまうタイプ。紙袋や保冷剤、いつか使えるとイメージしたものはもちろん、クッキーの空き缶を捨てたと思えば、頭から離れず、また取りに戻る始末。主人公の冴津武士が訪れた家のようにゴミ屋敷にこそなっていないものの、私自身も、何かの拍子でそうなる可能性はあります。ただ、モノへの愛着もあるけれど、簡単に捨ててしまう人間にはなりたくないという意識。もし気になった女性が断捨離しまくっていたら、ちょっとためらってしまうかもしれません。はい、47歳、独身です。

 テレビ番組の企画で、ゴミ屋敷を片付けた経験があるのですが、処分よりも、家主を説得することが一番大変でした。大切な家族を亡くすなど、ほとんどの方が大きな喪失をモノで補完しているので、決してゴミではなく、せっかく片付いても、半年後には元どおりという人もいました。

 子供の頃、どうしても欲しかった36色のクーピーペンシル。12色のがあるからいいでしょ。ダメなんだ12色じゃ足りないんだと、親にねだりにねだって手に入れた、虹のようなグラデーションを描いて並ぶ色鉛筆。案の定、36人は白い画用紙の上で踊ることもなく、教室のロッカーの奥にしまわれた缶の檻の中でじっとしていました。

 その少年は大人になり、曲を作るようになると、いろんな音が欲しくなります。色は音色に変わり、あの頃の36色の鉛筆のように、音楽機材が欲しくなる。ただ、パソコンで使用するので、何色集めても場所を取るものではありません。その上、経済力をつけてしまったので、親にねだる必要もなく、次々にパソコンに吸い込まれる機材たち。しかし、実際使用するのはほんの一握りで、ほとんどの機材は所有していることすら忘れられています。

 ある日のこと。私の眼差しは別の音色に向けられていました。パソコン上で使用する機材は、ソフトシンセと呼ばれるものですが、「実機」と呼ばれるハードシンセサイザーを欲するようになります。

 場所を取るし、故障もする。埃をかぶったり、何かと面倒ですが、パソコンで製作することに慣れてしまったからなのか、実際の「器」に手で触れたくなる日が訪れました。やがて、押し入れにしまっていたアナログのレコードプレイヤーや、サンプラー機材など、場所を食う機材が私の周りを囲むようになり、部屋を占領し始めます。もちろん、アナログ特有の音を欲しているのもありますが、それに付随すること。レコード盤をセットしたり、針を落としたり、時間と手間を求めていました。面倒なことを排除したのに、また、面倒なことが恋しくなる。電子書籍になったからこそ、紙の書籍への愛着が湧き、配信時代だからこそ、アナログレコードへの引力が高まったのは、年齢や懐かしさのせいではないでしょう。重さだとか、手応えだとか、面倒くささや煩わしいものが、人間は好きなのではないでしょうか。だから、作品に登場する次のフレーズは私の腑にすっと落ちました。

「一切の不快感をなくしていった人生で、なにがしたいのか」

 こういった素敵な表現が、絶妙なスリルとスピードで展開される話にちりばめられ、「歯ごたえ」や「のどごし」、そして「手触り」のいい一冊が、私の書棚に加わりました。

 ガラクタだらけの中から生まれるもの。この世に無駄なものなんてない。いや、この世は全て無駄なのか。どちらも間違っていないと思いますが、アイスランドの大自然に身を置くと、人間がもっとも不要で、ゴミのように感じました。

新潮社 波
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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