1964年東京五輪のピクトグラムに携わった版画家の原田維夫さんにとって関わりが深い作品3冊

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私は忍者の末裔かもしれない

[レビュアー] 原田維夫(版画家)

1964年の東京オリンピック・パラリンピック大会の施設で使用されたピクトグラムのデザイン開発に携わった原田維夫さん。数多くの挿絵を手掛け、版画家としても活動する原田さんにとって関わりの深い新潮文庫3冊を紹介します。

原田維夫・評「私は忍者の末裔かもしれない」

 数多ある新潮文庫の中から三冊を選ぶというのは難題である。挿絵家という仕事柄、かなりの作家の作品を読んではいるが、選ぶとなると話は別。ともかく私と関わりの深い三冊を選んでみよう。

 まず一冊目は、沢木耕太郎氏『深夜特急』。沢木さんとは彼がまだ大学生だった時にお会いしている。それは私が、版画家ではなく、デザイナーだった頃で、毎日新聞社に出向いて「月刊エコノミスト」の表紙や誌面のデザインをしていた。ある日沢木さんが、「月刊エコノミスト」に、各界の人物論を書く仕事で来社された。私に興味を持たれたようで声を掛けてくれた。彼が「フリーで食べていけますか」と聞いてきて、私は生意気にも、「何か一つ核になるような仕事があれば、少し楽ですョ」などと答えたが、その直後、彼はあれよあれよという間にマスコミのスターに。その後、沢木さんが「産経新聞」朝刊に「深夜特急」を連載することになり、私に挿絵をと、指名して下さった。うれしかったが連載が始まって驚いた。まだインターネットも無い時代。彼が旅で辿ったシルクロードの地名や国名の資料もほとんど無く、今では誰でも知っているパキスタンやカザフスタンだのの全てがわからず、絶望。想像を巡らして、何とか絵にしたのもいい思い出だ。『深夜特急』の中で、「パキスタンのバスは、およそ世界の乗物の中でもこれほど恐ろしいものはない」と書かれているが、私にも似た経験がある。それは、スリランカの「ブッダの伝説」を版画にして、同地の仏歯寺で個展を開くという企画でのこと。その時の島めぐりのバスが、文字通りもの凄いチキンレース状態で、彼の文章を読んでいると、あの時の恐ろしさが今もありありと甦ってくる。

 二冊目は、司馬遼太郎氏の『梟の城』。この『梟の城』は、いつか、忍者をテーマにした挿絵かカバー装幀の仕事をしたいと思っていた所に依頼があったので感慨深い作品。何故、忍者物に引かれていたかというと、私の母方の先祖を辿ると、忍者の家系ではないかと常々思っていたからである。私の祖先は、信州上田城に入城した藤井松平氏の家来で、三河から信州上田に来たのだが、その母方の姓が服部なのだ。ある時、叔父が、「祖先に、信州上田の武士で絵を描いていた人がいるョ」と教えてくれた。その人の名が、服部元載。上田在住の収集家に彼の絵を見せていただいた。大きな屏風に、大きな牛が一頭堂々と描かれていた。その絵を製作した時の元載さんの年齢が九十歳と書いてある。それに感動し、なぜかうれしかった。『梟の城』の一文に、「伊賀の忍びは、城の西北に夜青光があがれば兵気すくなしと占ってきた。重蔵はかすかに眉をひろげた」とある。私の祖先の服部氏が、この文章のような任務をしていたとは思わないが、確か、元載さんは絵の修業として京都大坂に行っていて、何かの都合で信州に戻ってきて武士になっている。この西行は、藩からの特命だったのではと考えると、末裔としては少しわくわくする。『梟の城』は、そういった意味でも大好きな作品だ。

 三冊目の山本一力氏『研ぎ師太吉』。一力さんとの出会いは、「深川駕籠」の連載の挿絵を描かせていただいた時。私は、この『研ぎ師太吉』にかぎらず、一力さんの小説の場面の終わりの文章が好きである。『研ぎ師太吉』では、二の終りの「風で柿の葉が動き、ふたりに降り注ぐ木漏れ日が揺れた」、五の終りの「刃に浮いた錆は、元五郎が無念を訴えかけているかのようだった」などがそれだ。そういえば、昔、私が青山で個展を開いている時、一力さんが駆け込むような勢いで見に来て下さったことがある。開口一番、「原田さん、直木賞の候補になったョ」と報告してくれた。私もうれしくなって、「一力さん、直木賞の発表の日に、みんなが側にいて発表を待つというのをよくテレビで見かけるけど、『あれ、やらせて』」とお願いすると、「いいョいいョ、来て!!」と言って下さり、当日お宅に伺うことに。しかし友人の長友啓典氏にこのことを話すと、「やめとけ!! 自分も何度か、伊集院静さんと、神戸のバーで一緒に待っていたことがあるが、全然取れず、自分の所為みたいな気になったから、よせ」と止められたが、「やはり行くョ」とご自宅に伺った。この時は、一力さんは無事、直木賞を取られたので、ホッとしつつ、大満足であった。

※[私の好きな新潮文庫]私は忍者の末裔かもしれない――原田維夫 「波」2022年3月号より

新潮社 波
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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