人の数だけ思い出し方がある 夫婦にもそれぞれの感じ方がある

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ラーメンカレー

『ラーメンカレー』

著者
滝口 悠生 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163916569
発売日
2023/02/07
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

人の数だけ思い出し方がある 夫婦にもそれぞれの感じ方がある

[レビュアー] 乗代雄介(作家)

 十編からなる短編集だ。前半五編はある夫婦のイタリア滞在での出来事が、後半五編はその夫の友人である窓目くんの恋の顛末が語られる。

 現象としては一通りの出来事でも、そこにいる人の数だけ感じ方や思い出し方がある。だから複数人でそれを振り返るのは、木版画の版木や顔料をそれぞれが持ち寄って組み合わせて刷るようなもので、色や形がくっきり出る物事は多くない。

 冒頭の二編では、夫婦それぞれの立場から同じ出来事が語られる。「ローマの空港からペルージャにある妻の友人の家まで、バスと迎えの車を乗り継いで行った」というのがくっきりする粗筋の全てだから、それぞれの感じ方が読みどころだ。

 例えば、両都市に縁がある「サッカーの中田」のこと。バスで中田について調べ長々喋ったらしい夫の一編に中田は登場しないのに、妻の一編では「中田の話はどうでもよかった」としながら、訪ねていく友人と遠くつながる記憶や夫への苛立ちを添えて頻出する。夫は名を出さず、妻も中田自体はどうでもいいのだから、この出来事を夫婦で一緒に振り返るとしたら、中田の色や形はろくに出ないかも知れない。なのに、小説には中田の名が六度も重ねられるのだ。

 この中田の不思議について、滝口悠生は様々な形と角度でくり返し書いてきた。つまり、いないのに思い出される人についてだ。誰もがしながら言わずに済ませてやがて忘れる経験だが、小説では、その人がその場に残され、そこにいる人と同じように存在してしまう。この不思議。

 とはいえ、人生そんな時ばかりではない。例えば恋をしていたら、中田に用はない。後半の五編、恋する人といる窓目くんは、そこにいない人のことを全然思い出さない。思い出すなら、恋は終わっている。

 人はなぜ思い出すようにできているのだろう。そんな切ない不思議をしみじみ考えさせる一冊である。

新潮社 週刊新潮
2023年4月27日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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