『硝子戸の中』
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御母さんがいくらでも
[レビュアー] 北村薫(作家)
「母の名は千枝といった。私は今でもこの千枝という言葉を懐かしいものの一つに数えている。だから私にはそれがただ私の母だけの名前で、決して外の女の名前であってはならない様な気がする」。夏目漱石の言葉です。
晩年の――といっても、漱石がまだ五十前であることに、現代の我々は驚きます。『道草』の書かれる大正四年の一月から二月にかけて朝日新聞に連載した『硝子戸の中』の一節。
今よりもずっと寒さのきびしかった冬、漱石は、陽のあたる縁側に机を出し、羽織をかぶるようにして、この小品文を綴っていったといいます。
悲痛を極めた過去を告白し、もし小説にするとしたら、この「女の死ぬ方が宜いと御思いになりますか、それとも生きているように御書きになりますか」と問うた女のことなど、忘れ難い文章が続きます。
結び近くで、漱石は母の思い出を語りだします。
子供の頃、二階で昼寝をしていて悪夢を見た。自分のものではない大金を使ってしまい、どうしていいか分からず苦しみ抜く。大声をあげ階下にいる母を呼んだ。来てくれた母はわけを聞き、微笑し、「心配しないでも好いよ。御母さんがいくらでも御金を出して上げるから」といってくれた。救われた漱石はまた、すやすやと眠りの世界に入ることができたのです。
漱石作品中、意外なほど読まれていないのが『硝子戸の中』。それが残念な一冊です。