「好きじゃないけどキスくらいしていい人」 本音を言うと壊れそうな関係性を描く”青春失踪劇”

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ドードーが落下する/綿子はもつれる

『ドードーが落下する/綿子はもつれる』

著者
加藤 拓也 [著]
出版社
白水社
ジャンル
芸術・生活/演劇・映画
ISBN
9784560093603
発売日
2023/05/11
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

栄えある賞に輝いた「青春失踪劇」 人間関係への卓抜な視座が光る戯曲

 第六十七回岸田國士戯曲賞受賞作「ドードーが落下する」は、イベント会社に勤務する信也と、彼のブッキングするライブによく出演している売れないお笑い芸人の夏目、その周辺の人々(放送作家、地下アイドル等)のゆるいコミュニティでの数年間の「青春失踪劇」である。登場人物は20~30代が主で、舞台は「カラオケ」「バイト先」「新宿の路上」といった、若者が生息していそうな場所であり、主に描かれるのは飲み会での下らない会話や恋愛のいざこざである。

 だが本作が描破しているのは、「青春」という言葉に要約するとこぼれ落ちてしまうコミュニケーションの微細な距離感の在り様ではないか。

「芸人としては面白くないけど飲んでると楽しい人」「共通の友人が多い元交際相手」「好きじゃないけどキスくらいしていい人」……本音を言うと簡単に壊れそうな表面的なコミュニティの中心に夏目の「失踪」があり、ある種の欺瞞を暴く装置として機能している。これが「青春失踪劇」たる所以だと思う。

 夏目が失踪する要因に「統合失調症」という彼の抱える病がある。そこに売れない不安が拍車をかけ、周りに迷惑をかけ、「死ぬ」と言って失踪をする。妻、相方といった、近しい人は皆夏目を見捨ててしまう。だが主人公の信也は「心配ってかなんかプレッシャーあるんですよ、自殺するって言う人が友達に居たら」というスタンスを保ち、見捨てない。彼は夏目を思ってというより自身の納得のために動いているようで、感情をあまり表に出さず、人と深く関わろうとしない人物に思える。「信也は何故夏目をそんなに心配するのか?」と考えながら読み進めていくと、クライマックスでの夏目と信也の対話の場面で驚いた。夏目が今まで描かれた人々との関係を前提からひっくり返す、自分自身のコミュニケーションにおける「ある真実」をさらっと打ち明けるのだ。その後の「沈黙」というト書きの重み。しかし信也のとった行動に、私は彼らの積み重ねた、無意味で無駄な時間の尊さを思った。薄っぺらい人間関係を冷徹な視線で描き、その欺瞞を暴きつつも、そんな関係が意外と人を救うこともあるのではないか、と説く本作は厳しくも優しい。

 併録の「綿子はもつれる」はとある夫婦の不倫の話だが、これも「不倫」という言葉で一括りにすると取り逃がしてしまいそうな人の関係の在り様が描かれている。2作とも戯曲という特殊な読み物特有の愉悦に満ちている。

新潮社 週刊新潮
2023年7月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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