『花に埋もれる』
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『花に埋もれる』彩瀬まる著(新潮社)
[レビュアー] 池澤春菜(声優・作家・書評家)
濃密に香る 6編の花弁
温かくなり、ベランダに出したマイヤーレモンにつぼみがついた。得(え)も言われぬ白と紫色。そして甘い甘い香り。
薔薇(ばら)ノ木ニ
薔薇ノ花サク。
ナニゴトノ不思議ナケレド。(北原白秋の詩「薔薇二曲」より)
当たり前の、でもすごいものを見ているなぁ、と毎日飽かず眺めている。
彩瀬まるさんも当たり前のように、すごいものを書く。読んでいる間中、総毛立つような思いだった。
革張りの椅子に一目惚(ひとめぼ)れをし、自分を包み込むその感触を付き合っている恋人より愛してしまう「なめらかなくぼみ」。「二十三センチの祝福」は靴を直すのが趣味の男と売れないグラビアアイドルとの、靴を介した密(ひそ)やかな交流。「マイ、マイマイ」好きな人の体から出てきた半透明のおはじきは、誰かのことを好きな気持ちだった。「ふるえる」でも誰かを好きになると体の中に石が生まれる。取り出された石は、暫(しばら)くすると動きを止め死んでしまう。「マグノリアの夫」舞台で木蓮(もくれん)の花を演じることになった夫は、やがて木蓮そのものになる。
デビュー作「花に眩(くら)む」は、肌に花が咲く遺伝病を持った女性の話。同じ病を持つ彼女を慕う女性、そしてけして彼女のものにはならない愛する男性の間で心と体が揺れる。濃密で官能的な、花と性と生と死。
掌(てのひら)に載るしっとりと愛(いと)おしい花弁のような6編の物語たち。いずれも自分と異物、自分と外の世界の境界、それが、他者を受け入れたり拒んだりすることと結びついてゆく。
夜のベランダで、檸檬(れもん)の花の香りを嗅ぎながらこの小説のことを考えていた。花は散っても、香りの記憶は残る。同じようにこの本はふとした時にわたしの体の中を撫(な)でていく。そして、檸檬のような爪で小さな傷を残す。