『花に埋もれる』
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『花に埋もれる』刊行記念対談 書きつづける、探しつづける
[文] 新潮社
「第9回女による女のためのR-18文学賞」の読者賞を受賞し、作家として活動するようになった彩瀬まるさん。デビューから13年を経て、受賞作「花に眩む」を含む短編集『花に埋もれる』を上梓しました。
本作を“モノに対する耽溺と、身体の変容をテーマにした”作品と解説しながら、「わたしたちの世界のさまざまな不条理を映す鏡」と書評家の大森望さんは評しました。
日常と非日常が自然に混ざり合う彩瀬まるの小説世界の原点には何があるのか? 刊行を記念して、同賞出身で直木賞作家の窪美澄さんをゲストに迎え、創作の深みと高み、そして未来について語りました。
「諸行無常」が好きだった
窪 彩瀬さんは、今はすごく大きなスケールの作品も手がけていますけど、『花に埋もれる』では彩瀬さんご自身の皮膚感覚に立ち返るところがいっぱいあって「そうだ、私はこの彩瀬さんが好きだったんだ」って改めて思い出しました。きっと多くの読者の方も同じなんじゃないかと思います。
彩瀬 ありがとうございます。デビュー作の「花に眩む」を読み返してみると、自分は「諸行無常」が好きなんだなと改めて思いました。
窪 回転木馬が出てくるシーンは、彩瀬さんが書きたいところなんだろうなとすごく思いました。
彩瀬 移動遊園地だから、すぐいなくなっちゃうんですよね。美しいものは流れ去るっていう考えが自分の中のどこかにあって。刹那的であることは、美しさを毀損しないと思っているし、美しいものに一瞬でも出会えたら、もうそれはいい人生なんじゃないかってどっかで思っているんです。
窪 あと会話の書き方がすごく面白いですよね。「飲みますー」というセリフに「ー」を入れたり、女性を「お姉さん」って呼んだり、すごくオリジナリティがあって、この幻想的な世界に誘うフックになるなと常々思ってました。
彩瀬 小説の会話文と、実際の口語ってちょっと違うじゃないですか。口語のあやふやなところにその人の性質が透けて見える気がして。例えば、話の前半はその人に刺さったけど後半は刺さらなくて、前半のところだけを拾って会話が続いていくような、そういう口語のふわふわした感じが好きなんです。
窪 それを文章にして書けるのも武器ですよね、彩瀬さんの。
窪 「二十三センチの祝福」も大好きです。東日本大震災のチャリティ同人誌『文芸あねもね』に寄せた短編で、初めて読んだ時には心が震えました。離婚した男とグラビアアイドル崩れの女、この二人のやるせなさを、デビューしたばかりの若い人がこんなリアリティを持って書いちゃうんだと思って。
彩瀬 あの時は、山本文緒先生や柚木麻子さんをはじめとする錚々たるお姉さま方の中で、絶対足手纏いになってはいけないと気負ってしまって。全く書けないまま締め切りの二週間前になり、道を歩きながら「自分にとってテンションの上がるものはなんだろう」って一所懸命考えました。そのころ靴裏が赤いクリスチャン・ルブタンの靴が流行っていて、かっこいいなあ、ハイヒールで何か一本書けないかなと思ううちにできた作品です。
窪 いやー、なんでこんなに中年サラリーマンの気持ちがわかるんだろう。最新長編の『かんむり』(幻冬舎刊)でも七〇代の女性の心情を描いていて、この作者、人生何回目なのかな? って思いました。
彩瀬 「二十三センチ」の時は、男性視点の物語をまだたくさん書いたことがなかったので、すごく慎重に書いた記憶があります。『かんむり』も、もちろん自分がなったことのない年齢なので正解かどうかはわかりません。でも自分が二〇代を通り越して思ったのは、私の感じた二〇代もただの個人の体感でしかなく、全然違う二〇代を過ごす人も無数にいる。その年代になったからって正解が書けるとは限らないのだから、その不確定性の中に「こういうのもあり」っていう例をそっと差し出すのは、そんなに罪ではないと思うんです。
窪 彩瀬さんが好きなものの原点ってどこから来てるのか不思議ですね。皮膚感覚とか身体感覚とか。ご自身で思い当たるところはありますか?
彩瀬 なんでだろう……あの、生物の教科書なんかに、人間の皮膚の図が載っていますよね。毛穴から毛が生えているイラスト。あれを見た時「あ、草だ」って思ったんです。
窪 作家の目ですよね。
彩瀬 いつからか、肌が土壌に似ていると感じていて。それなら植物が生えるのも、鉱物が出てくるのも、なんなら地割れが起こったり攪拌されたりするかもしれない。土と肌が結びつくといろんなイメージが出てくるんです。たぶん。
窪 イメージが浮かんでも、文章に落とし込むことができる人とできない人がいますよね。「花に眩む」はとても若い時に書かれたわけですけど、それをこの段階で、書けているのがすごいですね。
彩瀬 実は『花に埋もれる』に入っている短編「ふるえる」を書く前、すごくスランプで。『森があふれる』(河出書房新社刊)が英訳されることになって、刊行自体は今年の7月なんですが、それまでに英語圏の読者への顔見せのような形で短編を書いてくださいと言われて。肩に力が入っちゃったんです。何を書けば一番喜ばれるのかわからなくて。
窪 「喜ばれる」ことを目指して書くのは辛いですね。
彩瀬 そうなんです。この時も一か月ぐらい考えても何も出てこなくて、もう廃業するしかないと思い詰めてZoomで作家の友達に相談したら「初心に返れ」と言われて。「何を書いている時が一番楽しいの?」と言われて、考えたら「私は人間の皮膚がよくわかんないことになるのが好きです」って思った。
窪 それで書いたのが「ふるえる」なんですね。スランプとは思えないような出来ですよ。身体の中から生まれた石を交換するなんて、よくこんなこと思いつくなと思いました。
彩瀬 初心に返れって言ってもらって、初心に返った作品です。
窪 彩瀬さんの作品は、人間が持っている根源的な怖さを常にまとっている気がします。人間っていう存在の不気味さを感じながら、関わりながら書いていらっしゃるのかなと思いました。
彩瀬 以前、ある方に「あなたはとてもいいものを書くけど地味だ」って言われて。
窪 彩瀬さんの文章は品が良いからですよ。どんな奇想天外の物語でもすごく抑制が効いている。私だと全部ぶちまけちゃうんだけど(笑)。
彩瀬 もしかしたら書いている時に、辻褄を合わせなきゃいけないという義務感を働かせているかもしれない。
窪 それはいいところでもあるから、弱点と思わなくていいと思うけど。
彩瀬 すごく力を込めて送り出した球が、多くの人に届かない気がするという悩みを常に抱えています。
窪 でも固定ファンもいて、一〇年間書き続けてこられて、着実に歩を進められているじゃないですか。何にも心配することないですよ。このまま描きたいものを書いていかれたら。
彩瀬 五年後も生き残っているのか不安なんです。つい求人情報を見ちゃうんですよね。学習塾の国語の先生ならできるかな、とか。
窪 恐ろしいことを言うようですが、大きな賞をいただいても同じですよ。
彩瀬 えっ。
窪 賞をもらったらキラキラした世界があるのかなと思ったら、意外に淡々としていて。それはそうですよね、これまで通り小説を書くこと以外のものは求められないわけだから。
彩瀬 荷物が増える感じですか……?
窪 そんなことはないですよ。でも思いがけずいただいたから、まだ身の丈に合ってない感じはしています。
彩瀬 身の丈に合う時っていつなんだろう。
窪 それは私たちには決められない。
彩瀬 直木賞の授賞式、窪さんのドレスがスーパー素敵でした。
窪 あの時、人生最高潮に太ってたんだけど(笑)。それも含めて、自分では時期なんて選べないんだなと思います。