人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ』 ヨシタケシンスケ

インタビュー

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メメンとモリ

『メメンとモリ』

著者
ヨシタケシンスケ [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041133958
発売日
2023/05/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ』 ヨシタケシンスケ

[文] カドブン

取材・文:村山京子
写真:松本順子

人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ...
人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ…

 日常の中でふいに遭遇する小さな理不尽。ささやかだからこそ対処のしようがなくて、イライラやモヤモヤは解消されないまま澱のように溜まっていく。そんなネガティブな感情を解決する秘策を披露してくれるのが絵本作家、ヨシタケシンスケさんだ。問題に真っ向から対峙せず、ほんのちょっと視点をずらして繰り出すその秘策はいつもユーモアに満ちていて、読み手は我が意を得たりとクスッと(ときにはニヤリと)笑ったり、「そうきたか!」と驚いたり。絵本を読み終えると、子どもも大人もモヤモヤやイライラと折り合いをつけて、理不尽な日常へと戻っていく。

■『メメンとモリ』ヨシタケシンスケ インタビュー

■大人があたふたしている時代に

 さて、ヨシタケさんの新作絵本『メメンとモリ』である。ダジャレめいたタイトルではあるが、これまでの身近なネタから一転、テーマは壮大でより哲学的だ。登場人物は姉のメメンと弟のモリ。ふたりの子どものやりとりの中で、「人は何のために生きるのか」という本質的な主題が語られていく。
「日頃から『生きるとは』ということをぼんやり考えることが好きで、『これってつまりこういうことなんじゃないか』と考えついたことを日々描きためているんです。一方で、ここ最近、子どもにわかりやすい本というよりは、子どもがきょとんとする本、よくわからないけれど何かひっかかるものを作りたいという思いもありました。そしてあるとき、『メメントモリ』という言葉の真ん中をひらがなにしたら、登場人物がふたりいるみたいだなあ、と思いついた。そこで片方がものごとを断言する、それに対してもう一方が『それってどういうこと?』と疑問を投げかけるという会話の形で、『何のために生きるのか』というテーマを語ることにしました」
 これまでヨシタケさんが差し出してくれる秘策のレパートリーの中から、考え方のヒントを受け取って日々のモヤモヤを解消してきた絵本の読者は、大掛かりなテーマや新たな文体にとまどいを覚えるかもしれない。
「ふたりの会話が展開する中で、読み手は置いてけぼりになったり、よく分からなくなったりする。でも、同時にそれがひとつの本の楽しみ方につながるといいな、という思いもあるんです」

人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ...
人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ…

 第1話〈メメンとモリとちいさいおさら〉は、「パリーン」という不穏な音からはじまる。姉のメメンが作ったお皿を不注意で割ってしまいがっかりする弟のモリ。メメンは、形あるものはいつかは壊れるもの。だから一緒に何をしたかのほうが大事なのだ、と弟を諭す。そして未来に何が起こるかは誰にも分からないし、起こることは選べないからこそ、その時々の自分にフィットする生き方を選んでいいのだと。
「この本で伝えたいことのひとつが『ぶれるよね〜』ということ。どんな生き方を選んだとしても、そこにどっぷり浸かって最後までつらぬけるほど物事は単純ではないですよね。人は行ったり来たりするし、ぶれ続けること自体が生きていることだとも言えると思うんです。だから自分も他人も“ぶれるものだ”ということを認めて許していければ、少し楽に生きられるようになるのかなと」
 2013年にヨシタケさんが絵本『りんごかもしれない』でデビューして10年。それは世の中がドラスティックに変化した年月と重なる。少し前の2011年には東日本大震災が起こり、新型コロナウイルス感染症のパンデミックがあり、ロシアのウクライナへの軍事侵攻はいまだ続いている。
「信じられないようなことが次々に起こり、その都度“そもそも”の価値観が大きく揺らいでいて、こんなにも大人があたふたとしている時代は経験したことがないぞと。僕らが子どもの頃は、大人がなんとかしてくれるだろうともっと気楽に構えていたんだけど……。そんな中で、僕にできるのは自分の中に生まれる戸惑いに対して、その時々に使い勝手のいい現実の受け取り方を用意しておくこと。それは誰かに教え諭したいわけではなくて、自分の精神衛生上、必要なことで。基本的には自分のためなんですね」
 楽観的になる日もあれば悲観的になる日もある。ストレートな言葉に励まされることもあれば、ちょっとブラックだったり皮肉めいた言い方が助けになることもある。その時の状況によって受け取りたいメッセージは違うから、あらかじめ選択肢を増やしておけば、きっと自分の役に立つはず。そしてそれが万が一、同じようぶれ続ける人たちに届けば嬉しい、とヨシタケさんは力を込める。

■自分の味方でいるために

 世界がぐるりと変わる一方で、10年分の歳を重ねたヨシタケさん。体力の衰えを感じたり、幼児だった我が子はティーンエイジャーに成長したりという身辺の変化は作品に投影されるのだろうか。
「老眼も進んで眼鏡が必要になるし、更年期のような症状もあって、けっこうな打撃を受けています。僕は変化があったとき、得るものよりも失うことに気持ちが向いてしまう性分なんです。例えば、我が家に子どもが生まれたときには、子どもを持つことで新しい世界が開ける反面、それ以前の気持ちに戻れなくなってしまった。歳を取ってこれから何を失うのかわかりませんが、昔の自分の味方になってあげられなくなるんだろうな、という寂しさがあって」

人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ...
人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ…

 ヨシタケさんの絵本に清く明るい正義の人が登場することは稀だ。それは迷ったりいらだったりする自分が腑に落ちる言い方をいつも探しているから。一点の曇りもない正論は自分を楽にしてくれないと知っているからだ。しかし「あと10年もしたら、そんなことはすっかり忘れて元気いっぱいに正論ばかり言う年寄りになっている思うんですよ」と笑う。
「だからこそ形に残しておきたいんですよね。自分が嫌がっていた大人になってしまう前に、それにちゃんと抗っていた僕がいたんだよ、と。いずれ消えてしまう昔の自分に対する遺書のようなものかもしれません」
 そんな思いが感じられるのが第2話〈メメンとモリとちいさいゆきだるま〉だ。メメンとモリが少ない雪でこしらえた雪だるまは、ふたりの期待に反してすでに土で汚れていた。真っ白な雪だるまを期待したであろう姉弟と、その期待を裏切ってしまったと感じた雪だるま。雪だるまはそんな切ない気持ちを携えて、世界中の「誰かをがっかりさせたもの」を励ますには、と思いを巡らせる。溶けてなくなってしまう前に、今の自分自身がしてほしいこと、かけてほしい言葉をいくつも考えながら……。
 がっかりした方も、がっかりさせた方も悪くはない。でも「くよくよ考えても仕方がないじゃん」「楽しいことだけ考えて前に進んだほうがいいよ」という正論のアドバイスはまったく助けにならない。それをよーく知っているヨシタケさんの多種多様なメッセージが、くよくよワールドの住人である読み手に希望を与えてくれる。

人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ...
人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ…

「くよくよしていると全然楽しくないし、つらいだけなんですよね。だからどうやったらくよくよせずにいられるか、ずっと考え続けてきたけれど、50年生きてきてわかったのは『くよくよは消せない』ということ。消せる人と消せない人がいるんですよね。第3話では『人は何のために生きているのか』の答えを描いていますが、それは『世の中楽しんだもの勝ちだよ』とか『努力をすれば幸せになれるんだよ』という正論に対する怒りの表明でもあるんです。だって、犠牲を払って努力して、それでも幸せにならない人生は失敗だったのかといえば、そんなわけにはいかない。良くも悪くも自分が思ったようにいかないというのはみんな一緒じゃないかと」

■とりあえず、仮の正解として

 第3話〈メメンとモリとつまなんないえいが〉では、退屈な映画を見て「損しちゃった」と落ち込むモリが、これからも自分にだけ楽しいことが起こらなかったらどうしようと不安にかられてしまう。そんな弟に姉のメメンが「生きるとはどういうことなのか」をとつとつと伝えていく。何のために生きているかの答えにたどり着いたとき、読み手はきっと「なるほど!」と膝を打つはずだ。なんとクールで頼もしい姉であることよ! とはいえ、もちろんこれが唯一の揺るぎない答えだとヨシタケさんは言いたいわけではない。
「物事の本質的な問いとその答えを描こうとしたとき、おじいさんが言うとまるで本当のことのようになってしまう。じゃあ誰に言ってもらうかと考えたとき、登場人物が子どもなら、これが“とりあえず“現時点での仮の正解”だということがわかってもらえるんじゃないかと思ったんです。僕には2歳上の姉がいるんですが、子どもの頃、お姉ちゃんは頭がよくて何でも知っている頼りになる存在で、疑問があれば姉に聞いて教えてもらっていた。でも後々、それがうそだったとわかった、みたいなことで(笑)。子どもの言うことだから、これから変わったり、他のレパートリーが出現する可能性もあるんだよ、と」
 メメンとモリの問答は時に難解で、冒頭にあるように、「置いてけぼりになったりよく分からなくなったり」もする。しかし不透明で予測困難、正解がない時代と言われる今。ぶれてもいいし、期待してがっかりしても、期待する人をがっかりさせてもいいという言葉は、くよくよしながら、それでもいつか死ぬことを忘れずに生きていくための大いなる切り札になるだろう。折々に読み返せば、その時の状況や心境で、読み手の中に新たな問いが生まれるはずだ。そうして読むたびに人生を深めてくれる、読書好きにはうってつけの絵本なのだ。
「わかっちゃいるけどできやしない。それでも何とか面白おかしくやっていくために、『こうやって考えてもいいよね』『こういう考え方だってあるよね』と負け惜しみのレパートリーを増やす。共感してもらえなくても『なるほどね』と面白がってくれる人に届けること。それが僕の作品づくりなんだと思います」

■プロフィール

人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ...
人は何のために生きるのか――。究極の問いをひもとく3つの物語『メメンとモリ…

ヨシタケシンスケ
1973年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。デビュー作『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位を受賞。絵本のほか、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど多岐にわたり作品を発表している。著書に『しかもフタが無い』(筑摩書房)、『日々憶測』(光村図書出版)、『もりあがれ! タイダーン』(白泉社)など。

KADOKAWA カドブン
2023年07月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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