「おいしいごはんが食べられますように」で芥川賞を受賞した高瀬隼子さんの受賞第一作「いい子のあくび」。文筆家ひらりささんと女性の”むかつき””について語り尽くす。

対談・鼎談

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いい子のあくび

『いい子のあくび』

著者
高瀬 隼子 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718362
発売日
2023/07/05
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「おいしいごはんが食べられますように」で芥川賞を受賞した高瀬隼子さんの受賞第一作「いい子のあくび」。文筆家ひらりささんと女性の”むかつき””について語り尽くす。

「おいしいごはんが食べられますように」で第一六七回芥川賞を受賞した高瀬隼子さん。先月、受賞第一作となる『いい子のあくび』が刊行されました。表題作に加えて二作の短編が収録され、いずれも女性主人公の一人称の語りによって、日々蓄積されていく違和感や行き場のない感情が描き出されます。
女性として生きることを深い眼差しで見つめ思考するエッセイ集『それでも女をやっていく』を刊行されたひらりささんをお相手に、互いの作品の感想から社会や周囲の人間に対して抱く感情についてまで、広く語っていただきました。

構成/編集部 撮影/藤澤由加

ひらりさ 小説を読んでいると、書いた作家その人に対して怖さを感じることがあります。読んでいる自分の浅いところややましいところを見透かされているような気持ちになるというか……。高瀬さんの新刊『いい子のあくび』も人間の複雑な内面が書かれた作品なので、今日は怖いなと思いながら対談の場にやってきました(笑)。
高瀬 ありがたい気持ちと悲しい気持ちが同時に湧きました(笑)。
ひらりささんには『群像』で『おいしいごはんが食べられますように』の書評を書いていただいて、その節はありがとうございました。でも、当時はまだお会いしたことがありませんでしたね。
ひらりさ そうですね。
高瀬 初めてお会いしたのは、たしか去年の十一月の文学フリマの時でした。ひらりささんがブースを出されていたので、喜んで買いに行ったら売り切れていて……。
ひらりさ そうです、そうです。しかも高瀬さん、その時に名乗ってくれなかったんですよね。いきなりお名前を伺うのも失礼かと思って「出店されている方ですか」と聞いたら「そうです」と。「どちらのブースですか? ああ、『京都ジャンクション』。それなら、高瀬さんですよね?」と私が問い詰めた経緯がありました(笑)。
高瀬 こっそり買いに行けば、ばれないと思ったんです(笑)。その後、違う日に二人でお茶をしました。読書の話やひらりささんが行っていらしたイギリスの大学院の話など色々喋った記憶があるのですが、今日改めてお互いの作品について話せるのがうれしいです。

まだちゃんと怒っている

ひらりさ 「いい子のあくび」の初出は二〇二〇年の『すばる』五月号ですよね。書き始めたのはいつ頃だったんですか?
高瀬 二〇一九年の秋に「犬のかたちをしているもの」ですばる文学賞を受賞したのですが、その年の末に第一稿を書き上げました。その後編集者とのやり取りを重ねて、載ったのが二〇二〇年の五月号でした。
ひらりさ 今回の単行本刊行が決まる前から、書評家の倉本さおりさん経由で「いい子のあくび」が面白いという話は聞いていたんです。私は『水たまりで息をする』で高瀬さんを知ったので、読みたい……と歯軋りしていました。「ぶつかったる。」から始まるやばい小説があるよ、とだけ聞いてて(笑)。高瀬さんは一体どんなふうにして「いい子のあくび」を書き始めたんでしょうか。
高瀬 そうですね……。当時、無事にデビューはできたけれど、このまま二作目を出せずに消えるのではないかという強迫観念がありました。デビュー作だけが本になって、刊行点数1の作家になるに違いない、と。だから何とかして書かなければと思って、ひとまずテーマや粗筋を決めずに書き始めたんです。書きながら考えていた。そういう書き方をしていたせいで、日常のむかつきが作品に組み込まれて膨らんでいったのだと思います。毎日「まじ歩きスマホ死ねよ」と思っていたので(笑)。
ひらりさ 高瀬さん、一度自分の身に起きたことは忘れなそうですよね。
高瀬 そうなんです。一度何かにむかつくと、執念深くうらみ続けるタイプですね。絶対許さない、来年も許さない(笑)。
ひらりさ 来年も許さないっていいですね。昔、村田沙耶香さんと漫画家の米代恭さんの対談を構成したのですが、その時お二人が「嫌な人のことをすごく考えてしまう」という話で盛り上がっていたのを思い出しました。「嫌な人」ってほんとうに嫌なんですけど、創作をする上では貴重なイメージソースでもあるように思います。
高瀬 そうかもしれないです。この間ネットで「人生の時間は有限だから、自分の大切な人や好きなことについて考える時間を増やしたほうがいい」という記事を見ました。その通りだなと思ったと同時に、いや、自分には絶対できないなそれ、と(笑)。一日の起きている時間の七、八割くらいは嫌なことを考えている気がします。
ひらりさ 個人的に、高瀬さんの作品のうちでは『おいしいごはんが食べられますように』が初めにピンと来て、それをきっかけに他作品の見え方がクリアになった感覚がありました。「いい子のあくび」が雑誌に載ってから単行本化するまでには三年ほど間が空いて、その間に何作も書き続けてこられたわけですが、今回読み直してみていかがでしたか?
高瀬 まずは当時の自分の文章の下手さに衝撃を受けました。「言った」と「思った」ばかりで、これはやばいぞと。ゲラで細かく修正しました。ただ今回単行本化するにあたって、内容自体は大きくは変えていません。三年前の自分の怒りを受け取って、「ああ、私はまだこのことに対してちゃんと怒っているな」と思い返しながら読みました。
ひらりさ それはほっとした感じですか。
高瀬 いえ、「しんど」という感じです(笑)。この二、三年の間にさらに別の怒りも蓄積されているのに、三年前に抱えていた怒りもしっかり自分の内に残っているから、しんどいぞと。
ひらりさ しんどい思いはしてほしくない……と一応言いつつ(笑)、その二重のしんどさが功を奏している作品だとも感じました。デビュー後一作目というよりも、すでにキャリアを重ねた高瀬隼子だからこそできる表現、を味わえる小説だなと。

近影
高瀬隼子さん

〈正しさ〉と〈まっとうさ〉

高瀬 ひらりささんが今年出されたエッセイ『それでも女をやっていく』、ほんとうに面白く拝読しました。「女であること」をめぐって生じる葛藤や悩みに、ご自身の実体験を通して真正面から向き合おうとする一冊です。
たくさん付箋を貼ってきたのですが、正しさやまっとうさについて書かれた一文が特に印象的でした。「自分が女であるのを疑っていない以上、まっとうな女であることを目指す必要がある」という部分。分かるー! と思いながら読みました。ひらりささんが書かれた「『みんな』や『あの子』と同じでいたかったから」という理由とは少し違うかもしれないのですが、まっとうな女をやってしまっている自分、目指してしまっている自分、目指すと決意したわけではないのにそれを選ばされている自分、という被害者意識が自分の内にあるというか……。三十五歳になるのに幼いなとも思うのですが、それでもやはり、「まっとうな女」を選ばされていることに対する怒りがあります。
ひらりさ 読んでいただいてありがとうございます。
高瀬さんと正しさやまっとうさについて話すなら、私たちの都会育ち/地方育ちの差は無視できないと思っています。私は東京育ちの私立女子校出身なのですが、十代前半から「正解が正義」という思想を植え付けられてきた自覚があるんです。正解すると褒められるし、成績によって評価されることで「自分は間違っていないんだ」と安心できる。裏を返すと、他人の物差しがないと自分が分からない人間に育ってしまったなあと。
一方で高瀬さんの『水たまりで息をする』や、今回収録されている短編「末永い幸せ」には、地方の小さな人間関係の中で暮らしたことのある人物が出てきますよね。彼女たちは息苦しさを感じているけれど、でも実は、東京に来たからといってその苦しさから抜けられるわけではない。東京には東京の小さいコミュニティがあるし、ご近所や会社のみならず、友達や夫婦というのも一つ一つコミュニティですよね。高瀬さんは、それぞれの場の〈正しさ〉〈まっとうさ〉を纏い適応しようともがいている人の物語を書かれているんだなと、今回拝読していて強く思いました。
高瀬 伺っていてなるほどと思いました(笑)。
ひらりさ 人間がその場に応じて振る舞いを切り替える様が、『いい子のあくび』では顕著に描かれているように思います。主人公の直子がまさにそうで、友人の圭さんに「圭さんの結婚式、素敵だった」と言ったそのすぐ後で、別の友人・望海に向かって「結婚式ってする意味分かんない」と発している場面があったり。SNSや様々なチャンネルを通じて、自然に皆が「私」を切り替えているこの社会の在り方に、高瀬さんはすごく敏感だなあと思いました。
高瀬 そうなんですよね。主人公の直子は全方面に対していい顔をするというか、いい子をしてしまう。でもそのいい子は清廉潔白なわけではなく、あくまで目の前にいるその人にとってのいい子でしかない。違う方向を向いたらまた別のいい子をする、切り替えをしまくる人間だと思います。
ひらりさ 先ほどお話しされていた「まっとうな女」を選ばされることへの怒りにも通じるかもしれないのですが、高瀬さんご自身も普段はいい子ですか?
高瀬 私自身もいい子ですね(笑)。特に職場ではとてもいい子。一年前に作家業がばれてからは化けの皮が剥がれつつあるのですが……。それまでは、まっとうに仕事を頑張っている、残業も文句言わないでやる、いつもにこにこしている、飲み会で下ネタを言っても嫌がらない、おじさんの隣に座らせても大丈夫、そんな〈いい子〉をやっていたと思います。
でも最近は、意識的にいい子をやらないようにしています。かつて自分がいい子をやってしまっていた分、下の世代に負債を残してしまったなという後悔と罪悪感があるので。ただ、後悔と罪悪感を持つと同時に、当時の自分はいい子をやらざるを得ない状態にあったとも思うので、どうしたらよかったんだろうなとも……。
ひらりさ まずは個人として生き延びるのが第一ですよね。私は正論と正解は別だと思っています。その場で怒ったほうが全体にとって良く作用する場面があるのは確かですが、それはあくまで正論。正論ではなく、その時々にその人が選びとれる正解を選んでしまうのは仕方がないことだと思います。自分自身もそうしてきましたし。ただそうして正解を選びとった後、少しでも自分の地位なり生存なりが安定した段階で、視野を広くして正論に目をやるのは大事だと思いますね。高瀬さんの場合、その場で上司を殴るより小説を書いたほうが結果的に大きい効果があるでしょうし(笑)。
高瀬 そうかな、そうだといいんですけど。
ひらりさ もちろん、その場で上司を殴る人もめちゃくちゃえらいんですけどね。
高瀬 かっこいいと思う! 自分はできなかったから、よりかっこいいと思います。

文芸ステーション
2023年8月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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