「おいしいごはんが食べられますように」で芥川賞を受賞した高瀬隼子さんの受賞第一作「いい子のあくび」。文筆家ひらりささんと女性の”むかつき””について語り尽くす。

対談・鼎談

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いい子のあくび

『いい子のあくび』

著者
高瀬 隼子 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718362
発売日
2023/07/05
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「おいしいごはんが食べられますように」で芥川賞を受賞した高瀬隼子さんの受賞第一作「いい子のあくび」。文筆家ひらりささんと女性の”むかつき””について語り尽くす。

社会に要請される〈女〉

高瀬 ひらりささんが書かれた「わたしが『女』になる上で大きな役割を果たしたのは、もっとぼんやりとした細かな出来事に、相槌を打ち続けさせられる日常そのものだったと思う」という部分、ここもほんとうに印象深かったです。少しも共感できないことに対して「そうですよね」と相槌を打ち続けさせられる経験って、きっと男性より女性のほうが多いと思うんです。今日も会社でやってきたし、明日もするんだろうなと。
あと、私はもうすぐ三十五歳になるのですが、「三十代半ばの女性が求められていること」「二十代半ばの女性が求められていること」というふうに、世代に応じた女性の理想像があるように感じてきました。小学生女児だったときは「天真爛漫でパティシエを目指している」みたいな女の子像が求められていた。
ひらりさ わかります、パン屋さんとかケーキ屋さんですよね。
高瀬 お花屋さんを目指すことを社会から要請されている、と受け取っていました。その後も女子中学生、女子高校生、女子大学生でそれぞれ違う項目を求められ続けていたと思うんです。そして多分この先も、四十代、五十代、六十代とその歳の女性として求められる項目が変化していく。
果たして男性は社会から、こんなふうに年代別の理想像を課されているのだろうか? と思いました。もちろん男性には男性の大変さがあります。それでも、求められる項目が三歳刻みでどんどん更新されていく女性のような状況には置かれてはいないのでは、と。社会に要請される〈まっとうさ〉の項目を前にずっと相槌を打ち続けることで、自分は社会的な女になっていったんだと思います。
ひらりさ 少しずれた例えかもしれないのですが、女性誌を見ていても年齢によってかなり細分化されていますよね。『いい子のあくび』の中でも、「自分の未来はほとんど想像できる。この後、圭さんに子どもができて疎遠になる」「望海の転勤が決まる。(…)結局、望海もいなくなるのだ」というふうに、直子は自分の人生を俯瞰して眺めていますよね。結婚や出産をはじめ、規範やイベントに沿って自分の人間関係が規定されているという感覚を、男性は、女性ほどには感じずに済んでいるのではないでしょうか。
高瀬 変わらない自分のままでいられるって強いし、羨ましいしずるいなと思ってしまいます。
ひらりさ あと、ジェンダーという区分けで考えると、女性のほうが言いたいことを言えない場面が多いように思います。歴史的には長いこと「公的な発言」ができる主体として認められていませんでしたし、現在も、女はそういうことを言うべきではないという押し付けがあったり、相手を怒らせると加害をされる恐れがあったり。自分の発言に対して敏感にならざるを得ないというのはありますよね。
高瀬 そうですよね。私はいつも「女性の苦しみやむかつきを書いているね」と言われるし、自分でもそう思っているのですが、実は書き始めるときは「よし、女性のむかつきを書くぞ」とは思ってはいないんです。むかつきや嫌なことは男性も当たり前に抱えているし、大変じゃない人なんていない。それでも物語に女性を出すと、そこに勝手に苦しさ・つらさ・しんどさがついてくるんですよね。
例えば『いい子のあくび』には主人公の直子の恋人・大地が出てきます。大地は教師という大変な仕事をしているのですが、彼が生活している姿を書いても、日常における不条理な苦労はパッとは出てこない。電車に乗っただけで女性は嫌な目に遭うけれど、大地さんはその苦労がない日もあるんじゃないかなと。その違いはあるように思います。
ただ、今の自分の人生としては、小説のネタになるので女でよかったと思いますね。自分が男性に生まれていたら書けないことのほうが多かったと思います。あと、自分の中にうっすら存在している加害性、人に危害を加えたいという感情が身体的に強い男性になった時に外に出てしまったら、即ニュース速報になってしまいそうなので(笑)。そこへの恐怖もある気がします。

犬と人間と言葉のずれ

ひらりさ 以前、友人と高瀬作品の話をしたときに「高瀬さんは動物以外好きじゃないと思う」という指摘があって、深く納得したことがありました(笑)。高瀬さん、人間は好きですか。
高瀬 ひらりささんの『それでも女をやっていく』の中で、「世界中の男がうっすら嫌いだ」という一文があります。自分は「女」に興味があって「女」であることが好き、だからそれでも女をやっていく、という流れの中での一文です。でも私は、「世界中の男がうっすら嫌いだ」という部分を読んで「たしかに」とうなずいた後、「いや、女もうっすら嫌いだな」と思ってしまいました(笑)。世界中の人間がうっすら嫌いなんですね。動物は好きです。犬>人間の図式はどうしたって覆りません。
ひらりさ 犬と人間の違いってどこにあるんでしょうか(笑)。
高瀬 愛おしいか、愛おしくないか。問答無用で愛せるかどうかですね。
ひらりさ 伺っていてふと、言葉で干渉しあえる前提があるかどうかがポイントなのかなとも思いました。先ほども女性の理想像についての話がありましたが、ジェンダー的な要請もある種、言葉によって刷り込まれるものですよね。『いい子のあくび』に限らずですが、高瀬さんの小説には、一〇〇%心から思ってはいないけれど、自ら言葉に出して言うことによって、言ったことそのものを信じようとするシーンが多いように思います。言っていることの七割ぐらいはたしかにそう思っているけど、心の底から十割で思っているわけではない。その発言と心のずれに、登場人物たちも高瀬さんご自身も敏感だなと。自ら発した言葉を信じることで人間をやっている感じがあります。
高瀬 人間をやっている感じ。
ひらりさ その場での正解を口にして、十割はそう思っていない自分を感じつつも、口にすることで八割まで自分を追いつかせている感覚を書いているというか……。
高瀬 自分はそういうことを書いているんだなと、言われてはじめて分かりますね。『いい子のあくび』の三篇の主人公たちに対しては、書き終えて時間が経った今読み返してみると、みんなちゃんと思っていることを言えばいいのにという気持ちはあります。でも同時に、自分自身も思うことを十割で言うことができないから、彼女たちのような人物を書いているんだと思います。
ひらりさ 高瀬さんは、発される言葉と思っていることがずれ続けることの気持ち悪さをずっと意識されているように感じます。だから、言葉を介さない犬のほうが信用できると思っているんじゃないかな(笑)。

文芸ステーション
2023年8月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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