【本棚を探索】うどん陣営の受難 津村 記久子 著

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うどん陣営の受難

『うどん陣営の受難』

著者
津村 記久子 [著]
出版社
U-NEXT
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784910207834
発売日
2023/07/07
価格
990円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【本棚を探索】うどん陣営の受難 津村 記久子 著

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

社内政治にみる歪な社会

 飄々とした職場小説を書かせたら当代一、と私が思っているのが津村記久子である。たとえば『とにかくうちに帰ります』という短編集には、他人のデスクのペンを気軽に借りては返さない人、インフルエンザなのに「自分がいなければ」などと言って出勤して(実はいなくても困らない)周囲を感染させる人などがシニカルに描かれ、にやにやしてしまう。筆致も軽やかでユーモラス。だがそのなかで鋭く本質を突いてくるから油断できない。

 最新作『うどん陣営の受難』――とはまた随分トボけたタイトルだが、これもコミカルななかに刃を潜ませた中編である。

 主人公の「私」が勤務する会社では、4年に1度、代表選挙が行われる。決して業績が良いとは言えないなか、候補は社員の減給を訴える現代表の藍井戸、人員削減を主張する黄島、給料も人員も減らさないと言って甘いと揶揄される緑山、などなど。

 「私」は緑山陣営だが僅差で3位となり敗退。代表は藍井戸と黄島の決選投票へと持ち越された。

 つまり緑山陣営がどっちにつくかで決戦の行方が決まるわけで、両陣営があの手この手で緑山陣営の抱き込み工作を図り始める。露骨な優遇の提案、雨の日に配られるビニール傘(もちろん陣営のマーク入り)、さらには敵方の不祥事を告発する匿名のメールが全社員に届いたり、モラハラの様子を録音した音声が流出したり……。

 これが高杉良や池井戸潤なら陰謀渦巻く企業内サスペンスになるところだが、津村記久子なのでそうはならない。そもそも会社で代表選挙というのもあまり聞かないし、緑山陣営は夜中に集まってうどんを食べたり、合併先の現地採用組は丸い帽子を被っていたりと、設定からしてシュールなのだ。しかも「私」は決選投票を戦う両陣営を極めて冷ややかに眺めている。演説には仕方なく拍手くらいはするけれど、そんなことより申請したパソコンがなかなか納入されなかったり、落ち込んでいる同僚を気にかけたり、うどんのトッピングに悩んだりという方がずっと大事。

 つまりこれは会社というモチーフに仮託した、社会のカリカチュアなのだ。大きくは国の政治から、小さくは町内会や親族の集まりまで、陣営と名の付くものが存在する場所すべてにこの小説は当てはまる。

 自陣営の主張は甘い言葉でコーティングし、敵陣営のことは人間失格とでも言わんばかりの勢いで貶す。自陣営のためなら泥を被ることも厭わない。けれどそこに「自陣営以外」の人たちのことを本当に思っている人はいない。

 そんな歪んだ状況が、浮動票である「私」の目を通して炙り出される。実によく見る光景だ。かかわりたくはないが、「私」も社員である以上どちらかに投票しなくてはならない。それでも、うろんな工作で取り込まれないように踏ん張る「私」の戦いは、ささやかで平穏な生活を守る戦いでもあるのだ。

 なお、本書を刊行しているU―NEXTは動画配信サービスの大手。出版事業はまずサブスクで読み放題の電子書籍で配信し、後に紙の出版へと移行する方式だ。動画と書籍を同一サブスクでシームレスに利用できる新たな出版モデルとして注目されている。

(津村記久子著、U―NEXT刊、税込990円)

選者:書評家 大矢 博子

労働新聞
令和5年8月28日第3414号7面 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

労働新聞社

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