コロナ禍の3年間は「創作」をどう変えた? 作家・上田岳弘さんが、ミュージシャン・波多野裕文さんと語り合う【後編】

対談・鼎談

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最愛の

『最愛の』

著者
上田 岳弘 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718409
発売日
2023/09/05
価格
2,310円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

コロナ禍の3年間は「創作」をどう変えた? 作家・上田岳弘さんが、ミュージシャン・波多野裕文さんと語り合う【後編】

上田岳弘さん(作家)が、波多野裕文さん(ミュージシャン)に会いに行く【後編】

作家が「今いちばん会いたい人」にインタビュー!
新作長編『最愛の』を刊行したばかりの小説家の上田さんと、数ヶ月前に新譜『Camera Obscura』をリリースしたPeople In The Boxの波多野さん。
上田さんの芥川賞受賞作「ニムロッド」がPeople In The Boxの「ニムロッド」からインスピレーションを受けていたことから対談で知り合い、その後東京と香川という距離がありながらも、折に触れて会うように。
今回、お互いがコロナ禍の期間に制作していた作品を発表したということで、上田さんは、普段は面と向かってなかなか話さない「創作についての話」がしたいと、波多野さんに声をかけました。話題は、お互いの新作を糸口に、最後には創作と生活の関係にまで深まって――。
撮影/神ノ川智早 構成/集英社文芸ステーション (2023年8月10日 神保町にて収録)
「っぽさ」から遠く離れて
 
波多野 今回『最愛の』を読んで、僕が最初に出会った上田作品『太陽・惑星』の頃とは、上田さんはだいぶ遠くまで来たと思いました。『太陽・惑星』を手に取ったのはたまたまだったんですけど、その頃、音楽業界の外でも、共鳴し合える同世代の人がもっといたらいいのにと思って、他業界のクリエイターの作品に手を伸ばしたんです。上田さんが近い年齢だったので、読んでみたら、どんぴしゃだったという。
でも実は僕と上田さんは、作風や手法がちょうど交差しているんですよね。僕は昔は一人称で歌詞を作っていて、初期の頃はラブソングっぽい感じの曲も結構あるんですけど、今はどんどん『太陽・惑星』みたいな作風になってきています。でも上田さんは、最近の作品ではリアリズムの手法で書いていて、『最愛の』では「恋愛小説」とまで謳っている。上田さんの恋愛小説なんて、いったいどんな小説なんだと最初は不安になりましたけど、最後には、そりゃそうだよな、上田さんが書くんだから、いわゆる「恋愛小説的なもの」で終わるはずがないよな、と感嘆しました。
上田 作中人物の発言にもありますが、恋愛小説は、いかに結ばれないかを書くのが王道だと思うんですよ。もしかしたら今作では、その新しいパターンを提示できたのではないかと自分では思っているんですけどね。
波多野 『最愛の』のラストは、今までの上田作品の中で一番好きだったかもしれない。バッドエンドとかハッピーエンドとかというんじゃなく、ひたすら晴れやかに終わって。すごくカタルシスがありました。
上田 それはうれしい。あのラストは難しかったです。
波多野 ですよね。
上田 主人公が過ぎ去った過去を思い出して文章を書いている中で、じゃあ何がこの『最愛の』という小説のラストに相応しいのか。感情の吐露によって盛り上げて終わるのは簡単なんですけど、そこにある苦しみや誠実さをどう保てるかが難しくて、ラストは何度も書き直しました。
波多野 僕は時折、上田さんの作品の主人公の軽薄さに救われるんですが、あのラストはそれも込みで書かれてますよね。主人公の久島(くどう)は結構おめでたいやつですよね。それがすごくいい。
上田 軽薄さは大事かも。
波多野 大事ですね。純文学とか、僕がやっているタイプのロックミュージックとかは、えてしてシリアスになりがちです。
上田 そこをクリアした上で、もう一回柔らかく、ある意味ではチャラく着地しないと生きていけないじゃないですか。
波多野 それは本当にそう。でも人は、自分のチャラさを全く存在しないもののように、自分を洗脳するときがありますよね。
僕は、上田さんと違って、もともと極度のひきこもりだったり世間知らずだったりするので、独りでものを考える時間がおのずと長くなり、作り手としてはエリートというか(笑)、ものを作りやすい属性なんです。
上田 オーソドックスって意味ですね。
波多野 そう、作り手としてはある意味、正統派の道を歩んだあと、どんどん世間を知っていくという過程を経ています。最初からビジネスパーソンとしても世に出ている上田さんとは逆向きの道を歩んでいるから、今すごく、上田さんの言っていることに共感できる。
上田 なるほど。
波多野 だから僕は、15年前は自分のチャラさなんて絶対認めない、みたいな感じでした(笑)。
上田 このあいだ、直木賞作家の小川哲さんとお話ししたとき、「上田さんは『作家業一筋』的な人じゃないですからね」というようなことを言われ、自分でもキャラ的にはそうなのかなと思いましたね。クリエイションに本来向かない性格なんですよ、たぶん。
波多野 でもイメージに自分を寄せていくことってあるじゃないですか。小説家になるとどんどん小説家っぽく、ミュージシャンになるとどんどんミュージシャンぽくなっていく、みたいな。僕自身は今、その「っぽさ」からどんどん離れていってる気がします。上田さんの場合は、そもそもイメージに寄っていかなかったんじゃないかと。
上田 それは、僕が作家になりたいと思った年齢が早過ぎたからかもしれない。だから逆方向に走る癖がついちゃってるのかも。
波多野 逆方向に走る?
上田 小説世界の中で王道っぽくない振る舞いを書くことが癖になっている可能性があります。たとえばヒロインが「私のことを忘れないで」と言うのが王道だとしたら、僕の場合は「私を忘れて」と言わせてしまうとか。主人公男性がいつも女性の方から声をかけられるんじゃなくて、必ず自分から声をかけるようにして、なぜかモテてしまうんじゃなくて、自分からいく感じにしちゃうところとか。
波多野 逆張りがすぎる、と。でも、それがすごくいい方向に働いているんじゃないですか。
上田 僕はデビューが34歳なんですけど、逆張りしてなかったら、もっと早くデビューしていたかもしれないと思うこともあります。
波多野 音楽に関していうと、若いうちからデビューしても意外といいことばかりではなさそうだって、話したりすることがありますよ。早くに評価されて、勢いや衝動でやっていた頃のイメージをいつまでも人に欲望されちゃうと、そこから変化していくのは苦しいだろうと思います。意外と、紆余曲折や変遷を経た後で世に出てくるのがいいのかなという気がしますけどね。
上田 才能の形によって適齢期みたいなものがあると思うんですが、僕の場合は実際のところ30代ぐらいのデビューがベストであろうと思っていました。経験値がありつつ、ちょっとよく分からない人間になってからデビューしたほうがやりやすいじゃないですか(笑)。たぶん僕のバックボーンなんて、傍目にはよく分からないと思います。作家ではあるんですけど、ビジネスとか他の顔もあるから、全体像が見えない感じになっているだろうなと。
波多野 確かにそちらの顔はほとんど見えない(笑)。
 
文脈の射程の長さ
 
上田 波多野さんは、僕の小説の中には経済の話も出てきてリアリティがあると評価してくださっていますが、経済といえば、波多野さんも、新譜の中の「石化する経済」で、経済を扱っていますよね。「ニムロッド」の歌詞でも、「科学はいい線までいった」と投げかけていた。今やそういうことがご自身の中でテーゼとして形成されていきつつあるのかなと思いました。
波多野 最近僕が題材にしている社会的な事象に対しては、おのずと知りたいことが出てくるんですが、そのなかでもこれまでの僕に確実に足りなかったのは、経済なんです。社会を考えると、政治には意外と容易にたどり着くんですけど、経済にはなかなかたどり着かなかった。歌詞を書くような、僕みたいな文系タイプは特にそうなりがちだと思います。でもこれからミュージシャンとして圧倒的なものを作ろうとするならば、もっと現実的なことを勉強して技術を向上させないと、という危機感があります。
上田 僕の目から見ると、日本の歌手やバンドの歌詞は、映画なのか、状況なのか、社会的な関係なのか分からないですけど、わりと外部の文脈にアジャスト(適合)しすぎているような感じがします。だから、すごく短い文脈の歌になってしまっている。でもPeople In The Boxの音あるいは歌詞の繋がりって、もっと文脈の射程が長い感じで作られていますよね。それが異彩を放っているところだなと思います。
 
波多野 それはうれしいな。射程の長さって、自分の視野をどこに置くかと関わってくるんだろうと思っているので、視野や視点を工夫はしています。たとえば、目でバナナケーキを見ながら、脳みそでは貿易のことを考えているとか、頭の片隅に貿易のことがあるとバナナケーキがちょっと違って見えるとか。そういう脳の動きは、僕がまさに上田さんの小説に感じていることです。上田さんがチャラければチャラけるほど。
登場人物の向井くんが言う「モテるためにはモテればいい」という話は、他人の欲望を欲望するという、経済のキャズム理論を想起させますよね。商品が初期市場からメインストリーム市場に移行するには越えるべき深い溝があるという、あの理論です。僕は向井くんの話はそのメタファーと捉えたんですが、上田さんは、メタファーってどこまで意識的に設置するんですか。
上田 不思議なんですが、何げなく書き始めたものを深掘りしていくとメタファーになっていくんです。たとえば『ニムロッド』では「駄目な飛行機」を一つの起点として書き始めたら、それが人類や現代社会の象徴になっていった。たぶん、もともと僕にそういう問題意識が潜在的にあったから、メタファーになりうるものが網に引っかかってくるんだと思います。
波多野 とても腑に落ちます。結局、創作って、その過程自体が深掘りになるんですよね。僕も「うわ、繋がったな」というときがあります。でも、それが前面に出過ぎると下品になるから、そのバランスは探ります。「ここはバレたくない」とか「音ではこう聞こえるけど歌詞カードには書かないでおこう」とか、そういうテクニックを使って。
上田 僕もそういう調整、結構やりますね。
 
芸術は問いであり、問いは生活から
 
上田 文脈の射程の長さの話と繋がるんですが、音楽を商業的にやる以上、最大瞬間風速的に受けることを優先事項の上位に盛り込まなきゃいけない状況が多いんじゃないかと思います。でも、People In The Boxはそこからは距離をとっている感じがして、それが強みに見えます。
波多野 ありがとうございます。逆に言うと、僕は能力として、最大瞬間風速的に受けるようなものを作ることが全然できないんです。
上田 できていたんじゃないんですか? 以前『東京喰種』のエンディングテーマに楽曲提供していましたよね。
波多野 もしできているように見えていたのであれば嬉しいんですけど(笑)。僕個人の生存戦略としては、得意なものを伸ばしていくしかないと思っています。結局、中年になって勝負できるところって、既に持っているものを磨くことなんだなと(笑)。
自分の創作に自分で飽きるのは最も健全ではないので、自分のやっていることにずっと新鮮さを感じていたい。じゃあその新鮮さはどこから持ってこようか、と考えたとき、普段の生活の中で感じることを反映させていこう、となって。しかもその反映のさせ方は、インスタントにじゃなくて、いったん音楽と切り離したところでいろいろ考えたものが自然発生的に出てきたという感じがベストです。そんなやり方がやっと創作のサイクルになりつつあるんですが、このサイクルを実践すること自体、なかなか根気強さが要るので、これが僕の中年としての粘り強さだなと(笑)。
若いときは一曲一曲に全てを注ぎ込んで次に進むという、それはそれで大切な手法だったですけどね。今はアルバム一枚で何ができるか、前作に対して今作はどうしたいか、そういうことを発想できるのが自分の強みだと考えているふしがあります。
上田 瞬間風速的な作品って、自己啓発書に近いものがありますよね。
波多野 ああ、分かります。どうしても最終的にそうなっちゃうんですよ。
上田 そして、そこで得られるエモーションや感慨は、実は風化しやすい。
波多野 結局、標語みたいなものだから。

上田 先ほど「生活」というキーワードが出ましたけど、僕、「人生とは生活の集積であり、生活の集積が人生だ」ということを書くのが好きで、よくいろんな作品に織り込んでいるんです。ありきたりだけど、実際そうだと思っていて。「人生に結論はない」という大上段な言説も可能ですけど、「少なくとも一日一日を積み重ねていけば、それは人生である」みたいな、帰納法的な人生こそが、やっぱり人生だと僕は感じるんですよ。何か絶望的な状況があったとしても、生活という軸で日々を積み重ね、一日一日賄っていければ、意味のある形を取ってくるはずだと思っています。
だから今おっしゃった、生活の反映として何がしかのクリエイションが出てくることって、サイクルを作るには大事だと思います。そこが共通しているから、最近の波多野さんも僕も、丁寧さや伝わりやすさといったものに気持ちが向いてきているのかも。年齢のせいもあるかもしれませんが(笑)。
波多野 そうかもしれませんね。人生と生活ということで言えば、歌詞って小説とくらべると文字数がすごく少ないので、どんどん人生寄り、標語寄りになっちゃうんですよ。
生活と人生の違いって、計算式の問いと解の関係に似ていると僕は思っているんです。問いってすごく長いじゃないですか。何+何×何÷何と数式が続いたあとに、最後にイコール何々という解が来る。これが人生だ、みたいな感じで。でも芸術って、問いの方であるべきですよね。その問いをどうデザインするかが、作り手のセンスです。逆に、解の方は実は限られている。結局人生は愛であるとか命であるとか、そういうことに最終的に行き着くんですけど、それを言わずして伝えるのが作品だと思っています。それを言わないために、問いとなる、リアルタイムで進んでいく僕らの生活を、表現に落とし込んでいく。たとえば音楽だと、5分の曲とか、60分のアルバムにしていく。僕は創作に対してそういうイメージがあります。
上田 その感覚、分かります。
波多野 計算式はいかようにも作れますよね。生活って実はものすごく長くて退屈な計算式だから、どこを切り取って短くまとめるか、ここで括弧でまとめてとか、ここはルートでまとめてとか、それがセンスだと思うんです。でも小さくまとめすぎると標語に近づいていってしまう。だから、ある程度の長さがあって複雑性はありつつも、いい感じに見える数式を作りたい。上田さんの小説は、そういうことをやろうとしているなって僕は思うんですよ。
上田 数式のたとえでいうと、イコールの先の解を書かずに終わらせるのが一番うまくいった作品なのかもしれないです。もしかすると、さっき僕が言った、アジャストしすぎなミュージシャンが多いように見えるのは、解も含めた方程式全体をセンスよく見せようとしているからなのかなと。People In The Boxの音や歌詞を見ていると、極力イコールの先を書かないようにしていますよね。
波多野 アジャストしすぎた音楽は、解の部分が大体サビにバーンと来るんです。別に悪い意味ではなく、ポップソングって、そうやってどんどん広告っぽくなっていくんです。だから、コピーライターの方はすごくうまい歌詞を作る。それはそれとして、僕はそうじゃないものを作ろうと思っているから、解の部分というのは絶対書かない。ただ、どんどん問いが短くなってくると……。
上田 解っぽく見えてくる。
波多野 はい。式と解が限りなく近づく。だから、そこでせめぎ合うということをやっているかもしれません。
上田 いやあ、面白いですね。そういう人、あまりいなくないですか?
波多野 そうですね、あまり多くはないと思いますが、僕とは全く違うタイプでスピッツの草野マサムネさんなんかは、何を言わないかをすごく大事にしている気がしますね。解に見せているけど実は言ってないという絶妙な感じの歌詞を書くんですね。
上田 スピッツ、僕も好きです。しかし寡作ですよね。
波多野 あれほどのキャリアがあれば、もうそれはしようがないです(笑)。僕らでさえも、リリースの後は、さすがに次回作はすぐには無理、って思いますし。特に歌詞を作っている僕なんですけどね。曲はメンバーもいるのでみんなでいくらでも作れても、歌詞はなかなか出てこない。
上田 難しいですよね。小説、特に長編は本当に「生活」です。僕の場合は、毎日何字書くと決めて、ちくちくちくちく縫物をするように書いていくので。
波多野 それって、本番とトレーニングを兼ねているみたいなものですね。僕にとって楽器や歌はトレーニングがあって本番があるという順序分けがあるんですけど、歌詞を作ることに関しては本番しかないという感覚なので、トレーニング的な何かを新しく始めたいと思っているんです。まだ何をするかは考えてないんですけど。
上田 また作品が変わりそうですね。波多野さんの中で何かの要素が深まりそう。新作が待ち遠しいです。
波多野 僕は単純に、作品を増やしたいです。筆の速度を速くしたい(笑)。僕もこれから先、上田さんがどんな作品を書いていくのか、引き続き楽しみにしています。
 

文芸ステーション
2023/09/21 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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