赤神諒最新作『誾(ぎん)』は、 「愛と義」あふれる 〈大友サーガ〉の到達点 

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誾

『誾』

著者
赤神諒 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334100544
発売日
2023/09/20
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

赤神諒『誾(ぎん)』刊行記念 「愛と義」あふれる 〈大友サーガ〉の到達点 

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

大藪春彦賞作家、赤神諒の最新作は、大友宗麟を支えた戸次道雪のひとり娘、立花誾千代という謎多き女城主の「性」と「愛」に迫る「大友サーガ」第八弾です。

大分合同新聞にて連載し、地元の大分県立芸術緑丘高校美術科の生徒さんたちが、新聞の挿絵を担当し、その作品展や、座談会、講演会なども催してきました。

地元参加型の「GINプロジェクト」の総括となる小説『誾』と赤神さんのライフワーク「大友サーガ」について、大分出身の大矢博子さんに寄稿してもらいました。

 ***

 大友(おおとも)の物語が、ついにここまで到達したか―。

『誾(ぎん)』を読んだとき、そう思った。

 いや、到達と言ってしまうとここがゴールであるかのようだ。それは違う、と言っておかねばならない。赤神諒(あかがみりよう)が描く大友の物語はここで終わるものではないはずだ。

 だが、それでも。「ここまで到達したか」と思ってしまうのである。なぜなら本書は、赤神諒がこの〈大友サーガ〉を通して描いてきたふたつの家が、ようやくひとつに交わったのだから。

 と、それは後述するとして、まずは『誾』の話から始めよう。サーガだのなんだのと脅してしまったが、他の作品を未読でもまったく問題ない。それぞれ完全に独立した物語として楽しめるようになっているのがこのサーガの魅力だ。むしろ本書はサーガの中で最も間口の広い―普段歴史小説に馴染みの薄い人にも〈届く〉物語になっている。

 立花誾千代(たちばなぎんちよ)。豊後・大友氏にその人ありと謳(うた)われた西国最強の将、戸次道雪(べつきどうせつ)(鑑連(あきつら))のひとり娘である。筑前での叛乱を鎮(おさ)めたのち立花山城城督(守護代)となった彼は、誾千代が七歳のときに立花城の城督を彼女に譲り渡す。戦国の世に極めて稀な七歳の女城主だ。

 誾千代はその後、鑑連の豊後時代からの盟友である高橋紹運(たかはしじょううん)の息子・千熊丸(せんくままる)(後の立花宗茂(むねしげ))と結婚。豊臣秀吉と結んで筑後柳川(やながわ)を拝領するが関ヶ原で豊臣方についたため改易となる。誾千代が三十四歳で病没後、宗茂は紆余曲折の末に旧領を回復して妻の菩提を弔った。ふたりには子がなかったため、戦神・戸次道雪の血はここで途絶えることになる。

 ―とまあ、ざっくりまとめればそういうことなのだけれど、この誾千代が実に面白い。まず、何はさておき目を引くのが七歳の女城主という点だろう。数え年なので今ならまだ小学校に入ったかどうかくらいの少女である。女城主の例は他にもあるが、夫や息子に先立たれて次が決まるまでの繋ぎというのが殆ど。そんな中、七歳の少女に家督を譲るというのは珍しい。

 もちろん道雪の真意は今となってはわからない。だが、今に伝わる誾千代の逸話を見ると、少し見えてくる。曰く、彼女は甲冑(かっちゅう)に身を包み、戦う女城主だった。曰く、鉄砲隊を鍛え上げ、指揮した。つまり、父譲りの武勇伝が数々残っているのだ。道雪が娘を見込んだ、と言っていいかもしれない。男ならさぞや勇壮な武将になったであろう―男なら? いや、女でもなれるのでは?

 思わずそんな期待を抱いてしまうような、なんともワクワクする女性がいたものだ。さらに彼女の夫になった立花宗茂は、関ヶ原の負け組であったにもかかわらず旧領を回復するという、こちらも傑物である。

 まさにドラマになりそうな魅力的なカップルなのだが、これまで誾千代を書いた小説は少ない。山本兼一(やまもとけんいち)『まりしてん誾千代姫』の他は、短編がいくつかある程度だ。なぜか。ひとつは織豊(しょくほう)時代にあって天下取りに絡まなかった九州の一城主というマイナーな存在であること。もうひとつはふたりに不仲説があったためだろう。確かにこの夫婦が不仲では小説にはしにくい。

 そこを赤神諒は逆手にとった。なぜ不仲と言われたのか、を物語の軸に据えたのである。

『誾』はまだ幼い誾千代と千熊丸が出会う場面で始まる。男児のなりをした誾千代と手合わせした千熊丸はこてんぱんにやられ、相手が女と知って呆然とする。それからふたりは良き友として行き来するようになる。

 数年後、元服して統虎(むねとら)と名を改めた千熊丸は結婚話に喜ぶが、誾千代の方が煮え切らない。彼女は誰かの妻になるのではなく、自分が武将になりたかったのだ。武勇には自信がある。戦神・道雪の実子というプライドもある。しかし周囲はそれを許さない。甲冑の代わりに打掛を、槍の代わりに化粧を強制される。さらに久しぶりに会った統虎はすでに誾千代に膂力(りょりょく)で勝っていた。そのすべてが誾千代には面白くない。

 それでも誾千代は武家の娘としての期待に応えるべく、統虎を婿(むこ)とする。統虎が嫌いなわけではない、むしろ好ましく思っていたのだが……。

 九州を一時はほぼ制覇した大友氏が次第に力を失っていく時代を背景に、立花の戦いが描かれる。その戦国史の面白さはもちろんだが、やはり本書の中核にあるのは誾千代のジレンマだ。

 女であるというだけで、なりたい自分になれない。その悔しさ。もどかしさ。

 本書が歴史小説に馴染みの薄い人にも〈届く〉と書いたのは、ここだ。今よりもずっと、男女の区別が厳しかった時代である。男は戦い、女は家を守る。それ以外の生き方は許されなかった。でも他の生き方をしたいと願ってしまった。なりたい自分になれないという彼女の懊悩(おうのう)は、現代の読者の胸にもまっすぐに刺さるだろう。

 悩み、苦しみ、足掻(あが)き、そして彼女がそこからどう立ち直ったのかが最大の読みどころだ。そう来たか、と膝を打った。覚醒してからの誾千代はかっこいいぞ。朝鮮出兵で夫がいない中、女好きと評判の秀吉に呼び出された対抗策の爽快さ。関ヶ原に出かけた夫の留守を甲冑姿で守る誾千代の凜々しさ。しかもそれらは史料に残る逸話を基にしているのだからすごい。

 何が彼女に起きたのか。この解釈はもちろん作者の創造だが、でも、もしかしたらそうだったかもしれないと思わせる。不仲説が出た最大の理由はふたりが別居していたという点にあるのだが、その経緯にもこれなら納得がいくのである。

 不仲ではなかった、だが結果としてそう見えた―これが赤神諒が作り上げた〈真相〉だ。不仲どころか、本書の統虎は大きな愛でそんな誾千代を包み続ける。誾千代もまた、その統虎の愛に懸命に応える。そして統虎は何年かかっても、誾千代との約束を果たそうとするのである。なんて切ない、なんて狂おしい恋物語だろう。

 このふたりの愛の形を、義の心を、どうかじっくりと味わっていただきたい。終盤は思わず目頭が熱くなった。

 そしてこの「愛と義」こそ、赤神諒が〈大友サーガ〉で描き続けているテーマなのだ。

 大友氏とは、戦国時代に九州で権勢を誇った守護大名である。現在の大分県を拠点に、大友義鎮(よししげ)(宗麟(そうりん))の代には熊本や福岡まで版図を広げていた。赤神諒はこの大友氏の興亡を背景に、一作ごとに異なる主人公を配置して描いている。

 デビュー作『大友二階崩れ』は、先代を弑逆(しぎゃく)して義鎮が主君の座に就くお家騒動の物語だ。主人公はその謀略に思わぬ形で巻き込まれた先代の腹心、吉弘鑑理(よしひろあきただ)・鑑広(あきひろ)兄弟。その続編となるのが『大友落月記』で、吉弘鑑理の長男・鎮信(しげのぶ)を視点人物に小原鑑元(おばらあきもと)の乱を描いた。

 ともに主人公は吉弘氏なのだが、強烈な存在感を放っているのが戸次鑑連だ。豪快な戦の天才として大友サーガのほぼすべてに登場する鑑連は、彼が出てくれば大丈夫という安心感すら読者にもたらす。その鑑連の誕生から半生を描いたのが『戦神』だ。幼い頃の鑑連の腕白ぶりはそのまま誾千代に重なって、実に微笑ましい。

 そして『立花三将伝』は筑前擾乱(じょうらん)を舞台に立花氏に仕える三人の若者の青春を描く。これが『誾』へつながっていくのだが、ここで鎮圧に乗り出すのが戸次鑑連。そして盟友の高橋鎮種(しげたね)も重要な役割を果たす。この高橋の名跡を継いだのが、誾千代の婿になった統虎の父・高橋紹運である。そして紹運は、吉弘鑑理の息子であり鎮信の弟なのだ。

 戸次だったり立花だったり吉弘だったり高橋だったりと名前が変わってややこしいのだが、いわば〈大友サーガ〉は戸次と吉弘というふたつの家を軸にして回っていると言っていい。私が冒頭で、「ここに到達したか」と書いた理由がおわかりいただけるだろう。サーガの軸であった二家の娘と息子が、ここで夫婦になったのだから。

『誾』のラストでは、すでに戸次道雪も高橋紹運も亡くなっている。道雪の血は途絶えている。しかし紹運を父に、道雪を養父に持った立花宗茂という人物がそこに立っているのだ。これぞサーガである。

 本来であればサーガを一作ずつ詳しく紹介すべきところだが、紙幅が尽きた。前述の作品群に加え、丹生島(にうじま)城の戦いを描いた『大友の聖将』、誾千代に先んじて書かれた女武将・吉岡妙林(よしおかみょうりん)尼が主人公の『妙麟(みようりん)』、戸次(へつぎ)川の戦いを長宗我部信親(ちょうそかべのぶちか)の視点で書いた『友よ』がある。

 どこから読んでもいいし、大友の歴史に疎くてもまったく問題ない。そもそも今こうして丹生島城の戦いだの戸次川の戦いだのと書いているが、そう聞いてすぐわかる人は相当の歴史好きだろう。知らなくても楽しめる、そして読めばもっと知りたくなる。それが赤神諒の〈大友サーガ〉なのだ。順不動で読んでいくうちに、複雑な九州の戦国時代がドラマティックに浮かび上がるだろう。そして戸次と吉弘(高橋)の大きなうねりが見えてくるはずだ。おそらくこのあと、高橋紹運や立花宗茂の物語が控えているに違いない。

 未読の方は、まずは『誾』をどうぞ。そこから『大友二階崩れ』に戻って順に制覇してもいいし、誾千代につながる流れとして『戦神』『立花三将伝』に先に手を伸ばすのもいい。女武将に興味があるなら『妙麟』を。鶴崎城攻防はエキサイティングだぞ。

 大友氏は、そしてそこに集った武将たちは、決して信長や家康のような有名人ではない。名前も知らなかった、という人が大半だろう。だからこそ、そこには知られざるドラマがある。手垢のついていない興奮がある。愛と、義と、そして謀略の醍醐味がたっぷり詰まったシリーズを、どうか存分に堪能されたい。

光文社 小説宝石
2023年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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