『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』
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誰かが笑ってくれるなら
[文] 新潮社
アンガールズ・田中卓志さん(47)が、今年の8月末に初のエッセイ集を刊行した。
その中で一際注目されるのが、3年前に認知症を患っていることを公表した蛭子能収さん(75)とのエピソードだ。
約20年前にアンガールズとしてブレイクした際、テレビに出ても笑いが取れずスベってばかりだった田中さんは、精神的に追い詰められていたという。そんな田中さんを救ったのが、当時の蛭子さんが掛けた言葉だった――。
“恩人”である蛭子さんと8年ぶりに再会した田中さんが、当時を振り返った。
忘れられない蛭子さんの言葉
田中 8年くらい前、蛭子さんと二人でドライブする番組で共演した以来ですね。所沢のうどん屋さんでご飯を食べ、狭山のスキー場で一緒にスキーをして。スマホに写真が残っているかな。
蛭子 (田中さんの本のカバーを指さして)ちょっと不運なほうがいい?
田中 そうです、これ、僕の初エッセイ集です。あ、写真ありました!
蛭子 (本の帯を見て)「向かい風の多い人生です」って書いてある。不運を、他の人を喜ばせる方に変える……?
田中 そうです、そうです! 僕はこれまで、人生で「ちょっと不運なこと」が色々とあったけれど、それをエッセイに書くことで、誰かがクスッと笑ってくれたらいいなと思って。
蛭子 そうですね。
田中 これ、一緒にドライブしたときの写真です。偶然にも、二人ともオレンジ色の服だったんすよ。
田中 この本の中に、蛭子さんとの思い出も書かせてもらったんです。
蛭子 へぇ~。
田中 覚えていらっしゃるか分かりませんが、僕が芸人になって4年目くらいにテレビに出始めて……。
蛭子 えっ、芸人さんでしたっけ?
田中 蛭子さん、僕、お笑い芸人なんですよー。蛭子さんがよく共演されている、有吉(弘行)さんと同じです。
蛭子 そうか。
田中 今から20年前くらいですかね、アンガールズとしてブレイクできたタイミングの時、テレビに出ても全然笑いが取れなくて、スベってばかりで。実力がないのに人気だけはあってお仕事は頂けていたから、仕事を受けてはスベるという悪循環で……。
蛭子 20年前ね。