このたび『師匠』を上梓した立川志らくさんと、談志に「俺の未練を置いてく」とまで言わしめた爆笑問題・太田光さんをお迎えして、談志の凄み、知られざる素顔について語り合っていただきました。

対談・鼎談

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師匠

『師匠』

著者
立川 志らく [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784087718515
発売日
2023/11/02
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

このたび『師匠』を上梓した立川志らくさんと、談志に「俺の未練を置いてく」とまで言わしめた爆笑問題・太田光さんをお迎えして、談志の凄み、知られざる素顔について語り合っていただきました。

人気落語家・立川志らくさんが、師匠にして伝説の噺家である七代目・立川談志との日々を綴った自伝エッセイ『師匠』。
本誌連載時から話題を呼んだ同作が、まもなく単行本として刊行されます。
そこで、かつての談志が絶大な信頼を寄せ、「俺の未練を置いてく」とまで言わしめた爆笑問題・太田光さんをお迎えして、ふたりが目の当たりにした談志の凄(すご)み、知られざる素顔について語り合っていただきました。
対談は、在りし日の談志が暮らした「練馬の家」にて。いまだ冷めない情熱の余韻とともにお届けします。

撮影/大西二士男

「未練は太田に置いてく」遺言に秘められた想い

志らく 太田さん、この書斎には以前もいらっしゃったことありましたっけ?
太田 えぇ。5、6年前ですかね、テレビの収録で一度お邪魔してます。もうほんと、談志師匠の残り香だらけで(笑)。この机と椅子に座って書き物をされてたんだなぁとか、書棚を眺めるだけでも古今東西、やっぱりすごい勉強家だったんだなっていうのがわかりますよね。この蔵書、志らく師匠もときどきめくられたりするんですか?
志らく いや、あまりめくらないですね。やっぱりほら、紙のもんだから、勝手にこうパラパラやって破れちゃったりしたら罰当たるじゃないですか(笑)。
太田 談志師匠の罰はおっかないですもんね(笑)。けど志らくさん、お忙しいでしょうに、エッセイ書く時間なんてどこにあったんですか。
志らく いやいや、むしろ初めは暇つぶしだったんですよ。辛坊治郎(しんぼうじろう)さんが2年ぐらい前、ヨットで太平洋単独横断の旅に出かけちゃったでしょう? 留守の間、ニッポン放送の午後の番組(「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」)の代打を週に1回やってくれと言われて。「ひるおび」(TBS系)の生放送が終わり、そのあとラジオの出演まで3時間ぐらい間が空いちゃうから、だったら師匠のことを本にでも書いてみようかってことで、喫茶店でコツコツ。結局、辛坊さんの帰国が延びて、半年ぐらい代打やってるうちに書き上がっちゃったんです(笑)。
太田 じゃあ、辛坊さんのおかげで完成したみたいなもんですか(笑)。

――談志の愛弟子、談志が一目置いた芸人としてかねてから親交のあるおふたりですが、そもそも最初に出会われたのはいつ頃のことだったんでしょうか。

志らく 高田(文夫)先生の主催するイベントじゃなかったでしたっけ? 80年代の終わりぐらい、麻布の――。
太田 そうそう、麻布の温泉の上にあったハコでしたよね。
志らく そのイベント、確か昼夜2回公演だったんですよ。一方の前座が私、もう一方は爆笑問題が前座で。私の記憶だと、そのときの爆笑問題はコントやってたんじゃなかったかな。漫才じゃなく。
太田 そうだ。デビューしたての頃で、俺ら漫才よりコントがメインだったんで。
志らく とはいえ、高田先生のチョイスで出ただけだから、お互いの存在もよく知らないし、楽屋でしゃべったりもしてないと思う。それこそ、お互い日芸(日本大学藝術学部)の出身だってことを知ったのも随分あとになってだから。
太田 だからまあ、言ってみりゃ最初はそれぞれ駆け出しの芸人として出会ったわけですよ。けど、そのあとしばらくしてこっちは諸般の事情で丸3年ほどテレビに出れなくなっちゃって、逆に志らく師匠は談春師匠と「立川ボーイズ」ってユニット組んで漫才やって人気者になった。あっという間に明暗が分かれちゃったんです(笑)。立川ボーイズが出てたのは「平成名物TV」(89年2月~、TBS系)の2部でしたっけ?
志らく そうそう。
太田 ほいで、バカルディ(現在のさまぁ~ず)あたりも出てましたよね。俺はそうやってね、同世代の芸人たちが活躍していくのをとにかく見てらんなくて。ジェラシーだらけですよ、もう。ましてや、志らく師匠や談春師匠みたいな落語家に、遊びで漫才やられたら堪(たま)ったもんじゃないってね(笑)。
志らく とはいえ、爆笑問題が本格的にブレイクしたのは数年後の「ボキャブラ天国」(92年10月~、フジテレビ系)でしょう? その頃、こっちは立川ボーイズも下火でテレビにも出なくなってたから、爆笑が売れていくのはやっぱり嫉妬がありましたよ。太田さんが毒吐くのを見ながら、「俺の毒もこの人に取って代わられちゃうんだな」って(笑)。けど一方で、「いいんだ。これからは落語に集中するんだから」って自分を慰めて。
太田 それは知らなかったな(笑)。
志らく ついでに言うとね、うちの師匠が亡くなる間際に太田さんと対談やって、そこで「俺の未練は太田に置いてく」と言い残したままあの世に行っちゃったんですよ。それを知ったときに私、「えっ、なんで太田くんなの!? というか、むしろ未練を置いてくなら志らくじゃないの!?」と思って(笑)。
太田 志らく師匠、あの一件をいまだにずっと根に持ってんだよね(笑)。
志らく そりゃあだって、立川流でもない、ましてや落語家でもない人に未練を置いてくって、普通納得いかないでしょう(笑)。ただね、没後になっていろんな人から、「どうして志らくはテレビに出ねえんだ」って生前の談志がよくこぼしていたと聞かされたんです。そこでハッと気づきました、私に足りないのは知名度なんだって。知名度のない志らくに未練を置いてってもせいぜい守備範囲は落語くらいのもの。その点、売れっ子の太田さんなら談志の未練も広く語り伝えてくれる。あれは「もっと売れて有名になれ」っていう師匠からのメッセージだったんだと今さら思い至った。それ以降は顔と名前を売るべくワイドショーに出たり、「M-1」の審査員をやったり、テレビに顔を出すようになりました。
太田 志らく師匠、今や「ひるおび」で嬉々としてスイーツ食べてコメントしたりしてますもんね(笑)。
志らく 10年近くテレビ出てますとね、美味しくないものを食べても「うまいです」って、なんの躊躇(ためら)いもなく言えるようになるもんです(笑)。

文芸ステーション
2023年10月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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