SNSや会社、家の中……どこからか湧いてくる哀れな人たちを描いた小説『可哀想な蠅』のグロさとは?

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可哀想な蠅

『可哀想な蠅』

著者
武田 綾乃 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103533528
発売日
2023/09/29
価格
1,705円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

心の裏にある、気づきたくなかった感情

[レビュアー] 齋藤明里(女優)


哀れな人たちは誰なのか?(画像はイメージ)

『響け!ユーフォニアム』『愛されなくても別に』の作者・武田綾乃さんのブラックな短篇集『可哀想な蠅』(新潮社)。

 SNSや会社、家の中など、どこからか湧いてくる哀れな人たちを描いた本作は、蓋をしてしまいたい感情や日常の裏で誰もが「見て見ぬふり」をしているものを突き付ける一作となっている。

 読書系YouTube「ほんタメ」MCのあかりんとして人気で、舞台「文豪ストレイドッグス」や「ワールドトリガー the Stage」などでも活躍する女優・齋藤明里さんが、読み解きながら作品の一端を綴った書評を紹介する。

齋藤明里・評「心の裏にある、気づきたくなかった感情」

「可哀想」と、誰かに一度は言ったことがあるはずだ。その時を思い出してみてほしい。あなたはどんな表情をしていただろう。心から相手を思っていただろうか。その言葉の裏で、優越感に浸ってはいなかっただろうか。

 武田綾乃さんの新作『可哀想な蠅』は、「可哀想」の裏にある、気づきたくない感情を突きつけられるような短編集だった。

 表題作の主人公は大学生の芽衣子。彼女は捨て猫の入った段ボールを蹴り続ける男性の動画をこっそり撮影し、Twitterに載せたところ大バズり。その後、匿名のアカウントから嫌がらせのリプライが執拗に届きだすも、芽衣子はそのアカウントを「飼うように」眺めはじめる。友人から早くブロックしろと言われても、面白がるそぶりを見せて聞く耳持たず。反応さえしなければいいと思っていたが、攻撃的なコメントはエスカレートし、芽衣子の過去を掘り起こしながら、より過激になっていく……。

 芽衣子は過去の出来事から、この匿名アカウントのように、他者に対し攻撃的な発言をしてしまう人の弱さを知っていた。だからこそ、惨めで可哀想なこの人を拒絶せず、コメントを読み続けてあげようと思ったのだ。自分が優位に立っていると感じるがゆえに、相手に対する哀れみは膨らんでいく。その後の彼女に巻き起こる展開に、読んでいて息苦しくなった。

「バズる」とは蜂や蠅の羽音を表す擬音語である英語buzzが語源だそうだ。蠅を払うように、目障りなものを無視し続ければ、自分の世界は守られるのだろうか。蠅を気にするあまり、かえって、羽音は大きく聞こえてくるのかもしれない。煩わしさから逃れるには何が一番良いのか、芽衣子のあの選択は正しかったのか、読了後もずっと考え続けてしまう。

 また、書き下ろしの「呪縛」からは、「可哀想」の裏に潜む優越感がじわじわと滲んできた。父の介護で学生時代を楽しめなかった麻希は社会に出てから、青春を取り戻すように恋人や友人を作っていく。そんな日々のなかで、麻希は同僚から紹介された詩乃と友達になる。自分にはない彼女の可愛らしさや優しさに惹かれ仲を深めるが、ある時、恋人と破局した麻希の元に、詩乃が同僚のDVを理由に逃げ込んでくる。可哀想な詩乃を匿いながら共同生活を送る中で、恋愛とは違う形で自分が満たされていくのを感じた麻希は、彼女との関係性を自らの手で歪めていくのだった。

 助けてくれたお礼にと、料理や掃除などで奉仕する詩乃に対して、麻希はどんどん傲慢になっていく。そして詩乃にはずっと可哀想なままでいてほしいと願う。学生時代のほとんどを家族の介護で潰されてしまった麻希は、他者から、あなたは可哀想なヤングケアラーだねと言われることが許せなかった。可哀想な環境に居たのは事実でも、人から可哀想だと思われたくなかったのだ。そんな麻希が、自分より哀れだと思える存在を見つけたとき、優越感という初めての感情に出会ってしまう。大切な友人だけれどずっと可哀想なままでいてほしい。私が助けてあげたのだから私にだけ尽くしてほしい。そんな彼女のアンバランスな心が、痛いほどこちらに伝わってきた。しかしそれによって、二人の仲が少しずつ崩れていく様が一層やるせない。

 様々な角度からの「可哀想」を描きだした、この短編集。「まりこさん」では、年齢や立場が変わることで見えてくる「可哀想」について語られる。主人公の由美は、小学生の頃に、猫をたくさん飼っている「まりこさん」という女性と仲良くなるが、親から彼女とは関わらないようにと言われ、それ以降の交流を絶つ。三十歳を前に、社会人として地元に戻った由美は気付く。まりこさんは近所から爪弾きにされるような「可哀想な大人」だった。大人になれば今まで見えなかったものが見えてくる、そんな切なさを覚える作品だ。

 一方、「重ね着」は軽やかな読み応え。実家暮らしで独身の姉の元に、東京で就職した結婚間近の妹が突然現れ、一緒に伏見稲荷を登ることになる。成功している妹と比べて自らを可哀想だと感じる姉の苛つきが少しずつ解き放たれていく様は清々しく、姉妹の仲直りのシーンでは青春小説のような爽やかさも味わえた。

「可哀想」という感情はとても厄介だ。勝手に相手を判断して、哀れんだり蔑んだり、自分のほうが恵まれていると思いこんだりして、心が振り回されてしまう。それでも、人と共に生きていくなかで、心の底から手を差し伸べたくなることがあるはずだ。そんな時、ただ哀れみを抱いて優越感に浸るのではなく、対等な関係でありたい。厄介な感情に振り回されないように、自分の心のうちを冷静に見つめる視点を、この一冊は与えてくれるだろう。

新潮社 波
2023年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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