開放感のある場所に思考を運んでくれるロードノベル。それは記憶をめぐる旅

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開放感のある場所に思考を運んでくれるロードノベル。それは記憶をめぐる旅

[レビュアー] 石井千湖(書評家)

 新型コロナウイルスの感染が拡大し、全国で臨時休校がはじまった二〇二〇年三月。小説家の「私」と、もうすぐ中学生になる姪の亜美が、千葉県の我孫子から、茨城県にある鹿島アントラーズの本拠地を目指す。電車や車で行けば日帰りできる距離を、わざわざ歩いて。乗代雄介『旅する練習』は、ゆっくりと開放感のある場所に思考を運んでくれるロードノベルだ。

 亜美は女子サッカーの名門に入学予定だが、所属しているクラブの練習も、最後の大会も、コロナのせいでなくなってしまった。そこで利根川の堤防道をドリブルしながら歩く。「私」は目にとまった風景をノートに描写する。世界の先行きは不透明で、ボールを蹴る練習も書く練習も成果に結びつくかどうかわからないけれど、ふたりはとても伸びやかで楽しそうだ。

 とりわけいいのは、旅の途中で出会ったカワウという鳥について語るくだり。魚を食べるカワウは潜水に適した身体を持っている代わりに、漁をするたびにびしょぬれになってしまう。いちいち羽を乾かさないといけないのは大変だけれども、亜美は〈魚を獲るために生まれたみたいでかっこいいじゃん〉と言う。

 魚を獲るために生まれたカワウのように、サッカーと生きることが直結したらいい。そんな願いをこめて、ボールを蹴り続ける亜美はまばゆくて好きにならずにはいられない。そして「私」は書き続けることによって〈死が我々に忘れさせるもの〉を照らす〈ささやかな光源〉として自分を立たせてゆく。練習の旅が記憶の旅でもあると明らかになる結末は悲しくも美しい。

 記憶をめぐる旅を描いた小説といえば、長嶋有の『愛のようだ』(中公文庫)。四十歳にして初めて運転免許をとった主人公が、友達とその恋人を車に乗せて、伊勢神宮へ願掛けに行く。懐かしのアニメや音楽にまつわる会話が心に残る。

 絲山秋子『末裔』(河出文庫)も素晴らしい。ある日突然自宅の鍵穴が消えて家に帰れなくなった中年男が仕方なく旅に出る。滅びつつある家族の歴史をユーモラスな語り口でひもとく。

新潮社 週刊新潮
2024年2月15日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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