『ラストエンペラー』
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『ラストエンペラー』楡周平著
[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)
「最後のガソリン車」挑む
自動車メーカーの経済小説といえば、梶山季之の『黒の試走車』だろう。映画化されて主役を演じた田宮二郎の冷たい視線が、原作の魅力を別の角度から深めたともいえる。
昭和四十年生まれの私は梶山作品には少し間に合わなかった世代だが、書棚を通じて大いに影響を受けた。六十年以上を経ているのに、本書の頁(ページ)を繰ると、私の脳内には『黒の試走車』が現出し、両作が自然と対比されてしまう。
車の技術もメーカーの気質も社会の常識も人間の価値観も、六十年で小説の題材としてここまで変貌(へんぼう)するものなのか。物語上の演出とはいえ、『黒の試走車』の人間たちは、産業スパイという当時斬新な役柄で暗躍し、善悪の見境を失(な)くした。ライバル企業の会議室を覗(のぞ)き込み、盗聴や読唇術で内容を盗み取り、愛人を送り込んで機密を奪った。元気だったかつての日本で身も心も削って闘う「メーカー人」の姿は、それ自体が現代人の生きる意味への問いだった。
他方、本書が描く企業は底抜けに品行方正だ。主人公が投じる直球のリーダーシップ。そして、経営者と技術陣の軽やかな融和が、会社を導く。EVへの転換を見越して、最後にして最高級のガソリン車を企画する主人公。会社を去った名匠に声をかけ、気鋭の若い女性カーデザイナーを抜擢(ばってき)し、イタリアの同業社と和をもって手を握り合う。目指すのが企業の生き残りであることはいまも昔も同じかもしれないが、登場人物たちは、ひたすらお天道様の下で正しく仕事をこなす。いまや「メーカー人」は、嘘(うそ)や欺き、恥部や闇なるものを、一切携えていないのだ。
働き方改革やコンプライアンスやゼロリスクに牙を抜かれた私企業の人間たちは、実際にいま、まるで幼い子供のように何かに怯(おび)えて、正義を演じているものなのかという戸惑いに陥った。企業人の生きる動機を知らない学者の私には、完璧に爽やかな会社の有り様が、ちょっとした衝撃だ。(KADOKAWA、1980円)