ギャグの王様が描く、今こそ読みたいシリアスマンガ『九平とねえちゃん』赤塚不二夫|中野晴行の「まんがのソムリエ」第55回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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『九平とねえちゃん』
赤塚不二夫[著]

戦争への静かな怒りを描く
『九平とねえちゃん 同時収録 青い目の由紀』赤塚不二夫

 1960年代の半ばころまで、少女マンガのかなりの部分は、男性の若手マンガ家の手で描かれていた。『鉄人28号』の横山光輝は『おてんば天使』や『魔法使いサリー』、『サイボーグ009』の石ノ森章太郎は『おかしなおかしなおかしなあの子』、『銀河鉄道999』の松本零士も、松本あきらのペンネームで少女マンガの短編を数多く描いた。
「ギャグマンガの王様」と呼ばれた赤塚不二夫もそのひとり。1960年から65年まで『りぼん』に連載された『ひみつのアッコちゃん』は、同じ時期に『週刊少年サンデー』に連載された『おそ松くん』と並ぶ出世作。赤塚少女マンガの代表作として、何度もテレビアニメやドラマになっている。
 今回は、赤塚不二夫が1966年に『りぼん』の別冊付録として描いた少女マンガ『九平とねえちゃん』を紹介しようと思う。赤塚としては、シリアス系に属する作品である。

 ***

 主人公のユキ子は、大きな川が流れる下町で、母親と小学生の弟・九平と3人で暮らす女学生。父親は工場の機械の事故で亡くなり、家計は玩具工場で働く母親が支えている。貧乏に負けない明るい少女で、弟の面倒見もいい。九平はいたずら好きで、正義感が強く、年上が相手でもダンプカーのように突っ込んでいくので、なかなか目が離せない。
 あるとき、子犬をめぐって中学生と喧嘩をした九平は、中学生に追いかけられ、橋の鉄骨を登って逃げ出すが、足を滑らせて川に落ちそうになる。駆けつけたユキ子はなんとか九平を助けるが、安心したとたん気を失い、近所にできたばかりの高見写真の裕お兄さんに、姉弟ともに救われる。

 このあたりの設定は、赤塚自身の思い出がいろいろ反映されているのではないかと思う。
 旧満州生まれの赤塚は10歳の時に奉天で終戦を迎えたが、父親はソビエト軍に連行されてシベリアの収容所に送致されてしまった。残された家族は、苦労の末、自力で引揚船の出る港にたどり着いて、46年に日本に帰国。母の実家があった奈良県の大和郡山に移った赤塚と弟、妹は、紡績工場で働く母親のわずかな収入で暮らした。
 下町の風景も、上京して薬品工場で働きながらマンガ家を目指していた頃の、隅田川や荒川周辺の印象が色濃く出ているようだ。
 お使いに出た九平のアクシデントをきっかけに、裕とヤエ子の兄妹と親しくなったユキ子と九平。しだいに、ユキ子は裕を自分の兄のように慕うようになるが、裕は、自分が「ちいさいときに広島にいたので原爆にあって原爆症って病気になったんです……」と告白する。

 冬休みを利用して、親戚のおじさんが経営するスキー場でアルバイトをすることになったユキ子が下町に戻ったとき、裕は病に倒れて入院していた。病室で裕は、妹のヤエ子が実は原爆症で亡くなった姉の子であると告げる。そして、姉が原爆症と知って夫が逃げてしまったので、ヤエ子を引き取って妹として育ててきたと説明した。さらに、「ヤエ子もやはりおなじ病気かもしれない」「ぼくにもしものことがあった場合………」「その場合は北海道にいるぼくのしんせきにれんらくしてほしい」とユキ子に、ヤエ子のこれからを託したのだった。
 春を前にしたある日、裕は帰らぬ人となる。ユキ子は彼との約束通りに北海道の親戚に連絡をして、ヤエ子は北海道に引き取られていくことになる。
 ヤエ子を見送ったあと、桜並木の川堤で、ユキ子は悲しい思い出を振り返りながら、ひとつ成長したことを感じたのだった。

 少女の甘酸っぱくほろ苦い思い出を描いた佳作だが、そこに原爆反対、戦争反対というテーマを盛り込んだ、という点に関しては賛否両論あるだろう。若いファンの中には反発を感じる人が多いかも知れない。
 しかし、赤塚にとって、これは描かなくてはならない作品だった。
 侵攻してきたソビエト軍や中国の匪賊(ひぞく)に追われながら、寒さや病気で命の危険にさらされつつ日本に戻る途中、下の妹は病死。帰国後生まれた妹も、生後まもなく亡くなっている。大和郡山やその後に住んだ新潟では、引揚者というだけでいわれなき差別も受けた。赤塚にとって、戦争は善悪の問題や主義主張を超えて憎むべきものだったのだ。
 裕がユキ子に言う「こういうおそろしさはぜったいわすれてはいけないんだ!! この世界から原爆や水爆や戦争なんてなくしてしまわなければならないんだ」と言葉は、赤塚自身の偽らざる気持ちだったろう。
 作品が発表された1966年。日本は高度経済成長の真っ只中で、前年には「戦後20年」という言葉が登場して、戦争は過去のものとして忘れられようとしていた。一方で、高見裕のように原爆による重い病気を抱える者や、赤塚のように戦争の辛い記憶を忘れることのできない者がいる。
 
今年は戦後72年……。静かにこのマンガに込めた赤塚の心に向き合いたいと思った。

※電子書籍版はSF少女マンガ『青い目の由紀』を併録。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年8月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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