その男、美貌のエリートかつ、サイコパス――『MW(ムウ)』手塚治虫|中野晴行の「まんがのソムリエ」第69回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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手塚治虫生誕90周年記念・第4弾
誰よりも魅力的で美しい「悪」の物語
『MW(ムウ)』手塚 治虫

 手塚マンガの魅力のひとつに、個性的な悪役スターたちの存在がある。手塚はキャラクターを映画俳優のように役割分担させた「スターシステム」を自分のマンガに取り入れていて、主役、三枚目、悪役をしっかりと決めているのだ。悪役陣はざっとこんな感じ。
 ずる賢いハム・エッグ。「悪い心を持たないのは不完全」と言い切るスカンク草井。金の亡者メイスン。二枚目からクールな悪役に転身して成功したロック・ホーム……。
 中でも人気が高いのが、アセチレン・ランプだ。金や名誉のためなら他人を犠牲にすることを厭わぬ極悪人だが、心の弱さから身を滅ぼすことが多い。ある意味では最も人間的な悪役だ。『アドルフに告ぐ』のゲシュタポ極東諜報部長役は、名演の誉れが高い。
 さて、手塚治虫生誕90周年記念スペシャル第4回は、悪役が主人公をつとめるピカレスク・ロマンの代表作『MW(ムウ)』を紹介しようと思う。

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 連載されたのは『ビッグコミック』1976年9月10日号から78年1月25日号まで。手塚治虫は誕生日を迎えて48歳。少年誌で『ブラック・ジャック』や『三つ目がとおる』が人気を博し、虫プロ商事倒産の煽りを受けて中断していたライフワーク『火の鳥』が復活を遂げるなど、創作意欲がふつふつと湧き上がっていた時代の作品である。
 主人公の結城美知夫はエリート銀行員。仕事もでき美貌の持ち主である結城は、出世が約束され、女子行員たちの憧れの的。しかし、彼にはもうひとつの顔があった。
 彼こそが、日本中を騒がせている連続凶悪事件の犯人だったのだ。犯行の手口は残忍そのもの。子どもを誘拐し家族が警察に知らせたとわかると、平気で人質を殺し、金を持ってきた親をも証拠を隠すために殺害してしまうのだ。
 結城の脳にはモラルが存在しない。彼は、少年時代に南国の沖ノ真船島(おきのまふねじま)で不良少年たちに洞窟に閉じ込められた過去があった。そのとき、島では密かに貯蔵されていた某国の極秘化学兵器「MW」のガスが漏れ出し、住民たちはガスを大量に吸って全員死亡。事故そのものも隠蔽されてしまった。洞窟にいたおかげで命は助かったものの、結城は大脳をガスに冒されて、良心もモラルももたない悪魔のような人間に育ってしまったのだ。結城の秘密を知っているのは、不良グループの下っ端として結城を洞窟まで連れて行ったおかげで命拾いした賀来巌(がらいいわお)だけ。彼は、島の人々の悲惨な姿や結城を悪魔にしてしまったことへの贖罪の意識から、神にすがり、いまでは神父になっていた。
 しかし、結城は賀来と同性愛の関係を結び、賀来を何度も犯罪に協力させていた。賀来はその度に結城の誘惑から逃れようとするのだが……。
 一方、誘拐事件の犯人を追う警察は、犯人の足取りが賀来の教会あたりで途絶えていることから、賀来の周辺を洗い始める。そんな中、捜査責任者の刑事が野良犬に噛み殺されるというアクシデントが発生した。裏に何かあると睨んだ検察庁の目黒検事は、捜査線上に浮かんだ賀来と結城の結びつきに興味を持ち、過去に沖ノ真船島で何かあったのではないかと疑い始める。

 サイコパスによる犯罪や、同性愛、獣姦といったスキャンダラスなストーリー展開に、化学兵器を巡る某国極東軍の幹部と日本人政治家の陰謀という巨悪を絡めた骨太の内容で、連載当時は賛否両論を巻き起こした。
 事件を追う新聞記者、結城とは双子の兄の歌舞伎女形、テロリストなど多彩な登場人物が、謎の多い物語の進行をサポートする。その中で、結城の冷酷で残虐な姿は輝きを放ち、MWを巡る事件の闇の深さも際立つのだ。

 全体の骨格は『少年サンデー』66年23号から76年19号に連載された『バンパイヤ』につながる部分が多い。結城の、変装が得意で少女のように美しい男という設定や、殺しや盗みを厭わないサイコパスぶりも、この『バンパイヤ』が悪役への転身第一作となったロック(間久部緑郎)がモデルではないか、という気がする。
 少年誌ではタブーがあって描けなかったものを、青年誌で自由に描いてみたということなのかもしれない。
 また、某国が南の島に隠した化学物質が人を狂わせるというモチーフは、本作に先立って『ヤングコミック』72年7月12日号に発表した短編『イエローダスト』にも使われている。沖縄の米軍の小学校のスクールバスがテロリストに強奪され23人の生徒と女性教師がある施設に拉致されるというストーリー。戦場で兵士たちをハイにするために使われる秘密の薬品がストーリーの重要なカギを握るのだ。
 手塚マンガには、過去に使ったモチーフをリファインしてみたり、いくつかを組み合わせて新たにまとめ上げた作品が多い。1作読んでおしまい、ではなく、たくさんの作品を読めば読むほど発見がある、というのが素晴らしいのである。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年11月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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