江戸時代の深刻な環境問題を優しいタッチで描く『土砂どめ奉行ものがたり』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第85回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

9
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

史実に基づきながらもファンタジックに描く「土砂どめ奉行」の昔話
『土砂どめ奉行ものがたり』青木朋

 スギ花粉症の季節。毎年のこととはいえ、なんとも鬱陶しいものである。これだけ苦しんでいる人が多いのだから、そろそろ特効薬が発明されないとおかしいのだけど……。
 スギ花粉症の患者が増えている原因としては、戦中戦後に国が杉の植林を推進したことと、高度成長期が終わって、安い輸入木材に押されるなどして国内産の需要が減り、山林が手入れされないまま放置されるようになったことが挙げられている。素人考えでは、車からの排気ガスなどによる大気汚染も絡んでいるような気がするのだけど、実際のところはどうなんだろう。花粉が出ないように品種改良された杉も植樹されているそうだが、効果が出るのは何十年も先になるだろう。当分は、薬とマスクで乗り切るしかないのか。
 そんなことを考えていたら、昔の日本人と山林の関わりのことが気になってきた。で、読んだのが、今回紹介する青木朋の『土砂どめ奉行ものがたり』というマンガだ。

 ***

 舞台は江戸時代後期の近畿地方。山に囲まれたのどかな農村である。当時の日本は天下泰平で、人口も増えた。しかし、人口増加に伴って新たに田畑が作られた結果、山林の自然が破壊されて、洪水などの災害が各地を襲うようになっていた。
 タイトルにもある「土砂どめ奉行」=土砂留方(どしゃどめがた)奉行とは、山の木を伐りすぎたために起きる土石流や山崩れを防ぐために、伐採禁止や砂防工事、植林を地元に命じて監督する役人のこと。川の流域という広い範囲を監督する、今で言う広域行政の仕事なので、領主や領地とは関係なく仕事をするのが普通だった。
 マンガでは、わかりやすくするために、登場人物は同じ藩に住んでいて、幕府の命令を受けた藩主が検分のため奉行を派遣することになっている。

 木こりの利兵衛は、仲間の木こりたちと谷にあった大杉を伐り倒そうとしていた。実はこの杉は白蛇の化身が棲む御神木。白蛇は、一緒にいた利兵衛の弟で、霊感の強い小兵衛を通じて人間たちに伐採を諦めさせようとしたが、失敗。怒りを爆発させて、伐り倒される瞬間に木こりたちを倒木の下に押しつぶしてしまう。生き残ったのは利兵衛と小兵衛だけだったが、小兵衛もまた、崩れてきた大岩の下敷きになり死んでしまう。結局、利兵衛だけが生き残るという展開には、不条理を感じないでもないが、日本の昔ばなしは必ずしも正しいものが助かるわけではないのだ。
 利兵衛は大杉を売った金を元手に、よそ者たちを使って谷の木を伐っては、京都や大阪に売って財を成し、10年後には長者と呼ばれるまでになっていた。
 そんなある日、大阪で大洪水が起きたため、上流にある利兵衛の村にも土砂留奉行が検分のためにやってくることになった。
 奉行の稲田守弥一行を屋敷に泊めた利兵衛は賄賂を使って、土砂留をやめさせようとする。その時、庭に小兵衛の幽霊が現れた。

 ストーリーは、欲にまみれた利兵衛と、山を森に戻すという使命感に燃える奉行の守弥の対立を軸に、工事の負担を押し付けられ、生活のために山に入ることも禁じられた農民たちの苦しみ、田んぼに引く水を巡る農民同士の争いなどを絡めながら進んでいく。途中に章ごとの解説ページも入って、ファンタジー部分と史実の違いについての説明もあって、わかりやすい。
 日本の昔ばなしらしく、狐や狸も活躍する。狐は守弥の手先として人間の娘に変身して、利兵衛を懲らしめようとするお紺。狸は、寺の和尚のために利兵衛から寺宝を取り戻す手助けをするぽん太。お紺は、利兵衛に惚れてしまって、後半では重要な役目を果たすことになる。

 利兵衛や農民たちが、何度も何度も災害に苦しみながら、しだいに、無秩序に自然破壊を続けることよりも、守弥の言うように自然を守りコントロールする方が、結局は自分たちの利益に結びつくということに気づいていく過程が自然でいい。
 現実世界を生きている我々の方が、なかなか過去の失敗から学ぼうとしないのが、いささか恥ずかしくなってくる。
 万事、金がすべての利兵衛は現代社会のゼネコンを象徴しているのかもしれないが、考え方はゼネコンの経営者よりもずっと柔軟で正直だ。それは、利兵衛もまた、自然とともに生きている人だからなのだろう。
 ラストシーンで守弥の言うセリフが心を打つ。「山はくらしとともにある ふるさとや自分の家、家族を大事に思うように 山のことも考えてほしいもんや」
 花粉症も、われわれが山のことをあまりにもないがしろにしてきたから、怒った山の神様が、「なんとかしてくれ」と訴えているのかもしれない。そんな気もしてきた。

中野晴行(なかの・はるゆき)
1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2018年3月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

電子書店「eBookJapan」のご案内

株式会社イーブックイニシアティブジャパンが2000年より運営する老舗電子書店。人気絶頂の作品はもちろん、後世に残すべき希少価値の高い作品を取り扱い、特にマンガの品揃えが充実している点が多くの「本好き」に評価されている。スマホやタブレット、パソコンなど対応端末は幅広く、読書アプリだけでなくブラウザ上でも読める。