多神教徒である日本人が世界で主張すべきこと――塩野七生 読者との対話3

イベントレポート

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中世最大の「事件」というべき十字軍戦争。二百年にもおよぶ、イスラム教とキリスト教の血みどろの闘争史を描いた日本ではじめての通史『十字軍物語』を書いた塩野七生さん。その文庫化を記念し、神楽坂ラカグで2018年12月に行われた読者との対話をここに再現する。(全4回)

塩野七生
塩野七生

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読者H 高校一年生の時に『コンスタンティノープルの陥落』を読みました。異なる宗教、民族の対立がスリリングに、甘美に描かれていて、塩野さんの作品にハマるきっかけとなりました。私が塩野さんの作品が好きな理由は、そのリアリズムです。描かれている当時の風俗や情景だけでなく、人間の心の奥まで覗いているような表現が大好きです。

読者I 私もイスタンブールに旅行した後に読みましたが、行く前に読んでおけば良かったと後悔しました。シュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』よりもオスマン帝国がよく描けていて、立体的に理解できました。塩野さんは本当のところキリスト教というものに対してどうお考えですか? 果たしてキリスト教は人類に善きものをもたらしたのか、それとも災厄の方が大きかったのか、率直なお答えをいただければ。

塩野 私は第一に宗教というものは基本的に「個人的なもの」だと思っています。ところが厄介なことに「みんなで祈ると気持ちよくなる」という性向もある。一神教はとくにその性質が強い。これがまず問題です。
 そして多神教と一神教のちがいは「神の数のちがい」ではありません。カエサル家の守護神はヴェヌス、つまりビーナス。アウグストゥスの守護神はアポロン。多神教だからといって、すべての神を愛する必要はありません。信じる神は一つでも構わないんです。それがローマの多神教です。ローマが版図を広げるに従って、ローマの街角にはカルタゴとかガリアとかの神様の像がゴロゴロ並ぶようになりました。ある民族を征服して、彼らもローマ人に同化してしまうと、彼らの信じる神様もまた取り込んでしまうのです。取り込むといっても、信じるわけではない。彼らが大切に思っているわけだから、それを尊重するという姿勢。しかし一神教はそうではありません。尊重しないし、認めないのです。それが多神教と一神教のちがいなのです。
 ローマの多神教にはコーランとか聖書のような経典のようなものもない。経典がなければそれを解釈する必要もないから、専業の聖職者も不要。祭儀だって皇帝が普段から着ているトーガを頭から被って執り行って、それでおしまいです。
 われわれ日本人が信じるのもやはり多神教の神だろうと思います。本質的に、本来的に多神教なのです。神戸にはユダヤ教徒のためのシナゴーグやイスラム教徒のためのモスク、それにキリスト教の教会もある。われわれはそれを許容するわけです。
 寛容さというのは、何も強者が弱者に与えるものではありません。英語ならばトレランス(tolerance)という言葉がありますが、「他者の存在を我慢して耐えてあげよう」という意味合いがある。しかし本来の寛容というものはそういうものではありません。ラテン語のクレメンツィアを語源にしたクレメント(clement)の「相手の存在を認める」というものです。相手の信じる神が鰯の頭でもお稲荷さんでも、それが彼にとって大切なものなのであれば尊重しよう、それが寛容というものです。
 たったそれだけのことなのですが、これはわが日本人が世界に対して堂々と主張していい美点です。もうかつてのローマ人もギリシア人もこの現代にはいないので、堂々と多神教徒であるのは、今はわれわれ日本人くらいなのです。
 ところが一神教の側は相変わらず寛容ではないんですね。キリスト教の聖書を読んでみて下さい。イエスは「われらの神の前では」誰もが平等であると言っています。一応カトリック教徒であるわが息子に「イエスの言う通りならば、ママとあなたは平等ではないのよ」と私は言っています。イスラムの場合も同様です。他宗教の人間は平等どころか奴隷にすることも可能なのです。イスラム国が他の宗教を信じる人々を奴隷にしていたのはみなさんもご存知でしょう。
 奴隷制というのは何も古代のものではありません。中世にもずっとあった。奴隷制がまずいということになったのは、ようやく十九世紀に入ってからですね。それまでは同じ宗教を信じている人間は奴隷にできなくとも、そうでない人間ならば奴隷にできた。
 一神教徒である彼らとわれわれ日本人とでは文化がちがうのだから、彼らのやりかたを尊重して、「野蛮だ」と批判するのは控えるべきでしょうか? でも時にはわれわれ日本人もはっきり言うべきなのです。キリスト教もイスラム教も、別の宗教を信じる人間とは平等ではない、奴隷にしても構わないという部分を、なぜ経典から削らないのか、残したままなのは一体なぜなのか、と。
 ちなみに『十字軍物語』ではイスラム世界の盟主となったサラディンをかなりしっかり書きましたが、それは彼が素敵な男だから(笑)。素敵な男というのは宗教に関係なく現れるものです。(4に続く)

新潮社 波
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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