『リチウムイオン電池が未来を拓く』
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受賞者だから書けるノーベル賞の世知辛さ
[レビュアー] 小飼弾
ノーベル賞の季節になるといささか憂鬱になる。日本人が受賞したか? その研究が一体何の役に立つのか? この愚問の双璧が毎回立ち上がるから。前者はともかく後者はやむを得ないところがある。もうすぐ120周年。自然科学が発達すればするほど受賞対象の業績が高度化するのもやむなしで、高度化すれば、その意味や意義を理解するのは必然的にますます難しくなる。ニュートリノ振動? オートファジー? クロスカップリング? 何それ一体?
しかし今年の化学賞に限ってそれはない。今世紀人であれば誰もがその恩恵を毎日利用しているのだから。リチウムイオン二次電池。最も使いやすく、しかし最も貯めにくい電気というエネルギーを小はワイヤレスイヤフォンから大は電気自動車まで持ち歩けるようになったのはこれのおかげ。その身近さにおいてこれに匹敵するのは青色ダイオードぐらいではないか。
そしてその世知辛さも。ノーベル賞受賞者自身の著書として『リチウムイオン電池が未来を拓く』(吉野彰)ほどそれが生々しく描かれた一冊を選者は知らない。著者は[科学者]である前に[技術者]で、技術者である以前に[企業人]。さもなければドラム缶1杯分のカーボンも、50を超える特許も入手は不可能だっただろう。そしてダイナマイト試験場。[賞の創設者]とのまさかの縁。ある意味原点回帰なのか、発明以上に実用化で評価されたというのは。