『緊急事態 TOKYO 1964』
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『緊急事態TOKYO1964 聖火台へのカウントダウン』夫馬信一著 名も知れぬ人々の苦闘
[レビュアー] 森田景史(産経新聞論説委員)
どんな名城も寺社仏閣も、その土台には名もなき大工たちの鏨(たがね)の一振りが刻まれている。
1964(昭和39)年の東京五輪も同じだと著者は言う。
「一握りの『特別な人』だけではなく、むしろ名も知れぬ多くの人々こそが主役だった」
本書は、10月10日の開会式を迎えるまでの数カ月間、日本や世界を襲った多事多難と、人々の苦闘を描いている。その主役はときの権力者でも超人的な競技者でもない。聖火台に火を点じた坂井義則氏(故人)ら地位や名声と無縁の若者たちだ。
彼らに光を当てたのは、往時を省みる言葉に「『仰々しいもの』が一切なかったから」と著者は言う。あの頃の日本を支えたのは、脂ぎった欲にまみれることのない純度の高い「若さ」だった。そして、夢を見るに足る「未来」もあった。
本書見開きの右側のページには五輪へとひた走る人々の汗と涙の日々がつづられ、左側には当時の写真や記事、舞台裏を克明に記した関係者のメモなど数多(あまた)の資料が載っている。
著者の筆は時制が今昔を行き来し、舞台も地球儀を回すようなめまぐるしさで転換する。読者が覚えるであろう当惑はしかし、特徴的な見開きのおかげで、やがて一つのストーリーを帯びたドラマとして目の前に像を結ぶはずである。
著者は自らの取材手法を評して「ほとんど探偵」と微苦笑する。地をはうような調査の末に関係者を捜し出し、証言を得たことは想像に難くない。その手柄を誇るでもなく、喫茶店で世間話をするかのようなさりげなさで、前回五輪の貴重な挿話を引き出している。
数多の出来事を、関係者の証言や資料という糸で丹念に縫い合わせ、物語に仕立てる手際も鮮やかだ。
1964年は、多くの犠牲者を出した新潟地震や千葉県でのコレラ騒ぎがあり、東京は異常渇水に見舞われた。多端の列島を巡った聖火リレーは、舗装された道の上を行く諸国漫遊の旅ではなかったという。
新装された国立競技場を目指す今夏の聖火も、新型コロナウイルス禍の強い向かい風に揺れている。聖火を守れるか―。57年前の危地を耐えた名もなき人々が、そう問いかけている。(みずき書林・3080円)
評・森田景史(論説委員)