サービス・マーケティングの基本 『サービス・マーケティング――コンサル会社のプロジェクト・ファイルから学ぶ』試し読み

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架空のプロジェクト・ストーリーをもとに議論を展開し,実在する企業のケースを盛り込みつつ,サービス・マーケティングの基本を明快に説明していく『サービス・マーケティング』(黒岩健一郎,浦野寛子 著)の「はじめに」「PROJECT No.01」を公開します。

はじめに

朝垣結衣からみなさんへ

 みなさん,こんにちは。朝垣結衣です。
 私は,マーケティング・コンサルティング会社「ストゥディア・コンサルティング・グループ(SCG)」のコンサルタントです。サービスに関するコンサルティングを担当しています。
 この度は,このプロジェクト・ファイルを手に取っていただき,ありがとうございます。このファイルには,SCGに勤務する私と2年先輩の越野源さんが,この1年間に取り組んだコンサルティング・プロジェクトに関する資料が入っています。
 これらの資料を読んでいただけると,私たちの業務を追体験することができ,その結果,サービス・マーケティングの知識と技能を体得することができます。また,クライアントからの依頼内容は,サービス・マーケティングのあらゆるトピックに及んでいるので,サービス・マーケティングを体系的に理解することもできます。
 各プロジェクト・ファイルには,クライアントからの依頼内容と,その問題を解決するために私たちが調べた概念や知識を整理した資料が入っています。次に,最終提案に参考になりそうな具体的な事例があります。そして,市村リーダー(私の上司です)から受けたアドバイス,推薦された書籍リストも入れてあります。
 みなさんは,まず,クライアントからの依頼内容を読んで,自分だったら,どのような提案をするかを考えてみてください。それから,概念や知識を吸収し,事例も読んでみてください。その時点で再度,提案内容を考えてみましょう。時間があれば,市村リーダーからのアドバイスに取り組み,推薦書籍を読むと理解がさらに深まるでしょう。
 このファイルの資料をすべて読み終えたら,あなたはサービス・マーケティングのコンサルタントになる基礎能力を獲得できたことになります。ぜひ,SCGを就職先の候補として考えてみてください。楽しい仕事ですよ。みなさんと一緒に働けることを楽しみにしています。

「朝垣さん,今日から独り立ちだな」
「ありがとうございます,市村リーダー。これまで以上にがんばります」
「明日,カメラ・メーカーのイチコンを訪問するんだけど,あのプロジェクトが受注できたら,君に頼むよ」
「わかりました。精一杯やってみます」

 マーケティング・コンサルティング会社のストゥディア・コンサルティング・グループ(SCG)に勤務する朝垣結衣は,入社3年目。サービス分野のコンサルタントとして働いている。アシスタントとして2年間下積み期間を過ごしてきたが,3年目を迎え,プロジェクトを担当することになった。
 朝垣が所属するサービス分野のチーム・リーダーは市村光良。この道16年のシニア・コンサルタントである。これまで100を超えるプロジェクトに携わり,さまざまな企業の経営者とのネットワークをもっている。
 市村のチーム運営は,担当者にかなりの部分を任せて成長を促すようにしていた。彼は,おもにプロジェクトの受注に専念し,提案内容については簡単なアドバイスをするだけだった。

「朝垣さあ,もうプロジェクトを担当できるんだってな」
「そうなんですよ,越野さん」
「普通,下積み期間は3年だぜ。俺もそうだし。ちょっと早いんじゃないの」
「はい,でも,がんばってみます」
「クライアントを怒らせないようにな」

 朝垣の隣の席には,入社5年目の越野源がいる。すでにいくつかのプロジェクトを担当し,成果を出していた。朝垣は,この1年,越野の担当したプロジェクトのサポートをしてきたが,怒られっぱなしの毎日だった。やっと解放されたような気持ちと同時に,自分の担当プロジェクトへ取り組む意欲がみなぎってきていた。「理論に裏打ちされ,かつ実務的な提案ができるようにがんばろう」。そう決心していた。

PROJECT No.01 イチコン――サービスの重要性を示せ!

「朝垣さん,ちょっと来てくれ」
「市村リーダー,イチコンの案件,決まったんですか」
「そう,受注決定だ。君の最初のプロジェクトだな。がんばってくれ」
「はい,精一杯やってみます」
「では,まずクライアントの状況と依頼内容を説明しよう」

Project イチコン
 イチコンは,カメラを製造しているメーカーである。カメラマン向けの一眼レフから一般消費者向けのデジタルカメラまで,幅広い製品ラインナップをもっている。海外市場でも高いシェアを獲得しており,カメラのグローバル・メーカーとしての地位を確立している。
 ところが,10年前から,カメラの市場環境が急速に悪化してきた。カメラ機能をもつスマホの普及で,カメラそのものを買う人が大きく減少したからである。イチコンの売上の80%以上がカメラ事業で占められているため,会社全体の業績も悪化傾向が止まらなかった。
 そうした状況のなか,新規事業開発部の佐川照之部長は,経営陣からのプレッシャーを感じていた。「カメラ事業への依存体質から抜け出せるかどうかは,自分が新たな事業を生み出せるかどうかにかかっている」そう認識していた。新規事業開発部では,従来から,カメラ事業で蓄積した光学技術や精密技術を応用した顕微鏡,測定器,検査機器などの製造事業を推進してきた。しかし,そうした事業はあまり成長しておらず,限界を感じていた。佐川部長は,製造事業のみにこだわらず,サービス事業へも進出すべきと考え,カメラで撮影した映像データの管理サービスなど,事業アイデアをいくつか検討していた。
 しかし,経営陣は,サービス事業への進出に対して理解を示してくれなかった。「当社の強みは製造技術や開発技術にある」「サービスで金は稼げない」と,聞く耳をもたなかった。具体的な事業内容を説明しようとしても,それがサービスであるとわかると,途端に資料から目を離す経営陣が多かった。佐川部長は,経営陣に参入を検討しているサービス事業の内容を理解してもらうよりも,サービスそのものの重要性を理解してもらうことが先だと考えていた。しかし,そのために,どのような情報を伝えるべきか,悩んでいた。

「今回のクライアントは,イチコンの佐川部長だ。朝垣さん,君の仕事は,サービスの重要性を示す情報を提供することだ。佐川さんが経営陣へプレゼンすることをイメージして,資料作りをしてくれ」
「わかりました,市村リーダー。まずは,サービスに関係する情報を集めてみます」

1 サービス社会の到来

サービスの定義と広がり
サービス
〔サービスの定義〕

 サービスは,英語のserviceから生まれた外来語である。serviceはserveの名詞形だが,serveの語源は「奴隷」を意味するラテン語のservusである。したがって,サービスには「奉仕」や「役務」という意味が含まれる。
 ビジネス上では,サービスには大きく3つの意味がある。第1の意味は,プロダクトとしてのサービスである。すなわち,企業などが提供するプロダクトのうち,無形のプロダクト,もしくは有形の部分もあるが,おおむね無形のプロダクトのことである。例としては,銀行のローンやホーム・セキュリティ,旅行,映画館のようなエンターテインメント・イベント,ヘルスケアなどである。
 完全に無形の場合は,輸送や保管ができず,ほとんど瞬時に消滅するので,生産者から使用者へ直接提供される。サービスは,出現すると同時に購入および消費されるので,認識することが難しい。また,サービスは,無形の要素で構成されており,それら要素を分けることができない。サービスは,通常,顧客の参加が何らかの方法で行われる。さらに,所有権の移転という意味で販売することはできず,権利証もない。
 しかし,今日,ほとんどのプロダクトは,有形の部分と無形の部分をもっていて,どちらが優勢かによって,財かサービスに分類されている。完全に無形のサービスや完全に有形の財は,ほとんど存在しない。こうした考え方を表しているのが,図1.1の「プロダクトの尺度」である。この図はあらゆるプロダクトを有形か無形かの度合いによって位置づけている。左へ行くほど有形の度合いが強く,右へ行くほど無形の度合いが強い。塩はほぼ完全に有形であり,教育はほぼ完全に無形であるが,その他の多くのプロダクトは両端の間にある。中央よりも右側に位置するプロダクトはサービスと呼ばれるが,完全に無形というわけではない。たとえば,ファストフード店は,サービスに分類されることが多いが,そのプロダクトは無形の部分も有形の部分もある。こうした有形と無形の両面をもつ種類のプロダクトは,財あるいはサービスと呼ばれていたとしても,完全に無形のサービスがもつ属性をもっている場合もあれば,もっていない場合もある。
 第2の意味は,いわゆる「顧客サービス」である。すなわち,製品の販売に付随し,その取引や使用を支援する,販売者およびその他の者が行う活動である。例としては,靴のフィッティング,問い合わせのためのフリーダイヤル,家電やコンピューターの修理契約などがある。
 このような意味でのサービスは,販売前,もしくは販売後のいずれかにプロダクトを補完するものとして提供され,プロダクトを構成するものではない。一般的には,無料で提供されることが多い。
 顧客サービスは,売り場で従業員によって行われることもあれば,電話やインターネットを使って行われることもある。近年は,多くの企業がコールセンターを,時には24時間体制で運営している。
 第2の意味の派生として,日本では「値引き」や「おまけ」という意味で使われることもある。「10個買ってくれれば,1個サービスしておくよ」と言われれば,10個の値段で11個手にすることができる。
 第3の意味は,サービス・ドミナント・ロジック(PROJECT No.03参照)という考え方のなかで定義されている。この考え方では,あらゆる経済活動で取引されているものは,すべてサービスと捉える。それがたとえ有形の財であっても,取引されているものは財そのものではなく,財が生み出す便益であると考える。たとえば,エアコンを購入した場合,取引したのはエアコンそのものではなく,エアコンが提供する快適な空間と考え,それをサービスと呼ぶわけである。
 第1の意味の「プロダクトとしてのサービス」では,財とサービスを並列の概念として捉えているが,第3の意味のサービスはサービスを財の上位概念として捉えている。また,この考え方では,第1の意味の「プロダクトとしてのサービス」を「サービシィーズ」と複数形で表現し,第3の意味と区別している。

〔サービス企業とサービス産業〕
 サービス企業とは,主要なプロダクトがサービスである企業を意味する。たとえば,帝国ホテル,全日本空輸,みずほ銀行は,サービス企業である。トヨタ自動車,ソニー,キリンビールもサービスを提供しているが,主要な製品はそれぞれ自動車,家電やゲーム機,飲料なので,サービス企業とは呼ばない。
 一方,似た業態のサービス企業のまとまりをサービス産業という。ホテル,航空,銀行は,それぞれサービス産業である。総務省は,日本標準産業分類として,全産業を大分類20,中分類99,小分類530,細分類1460に分類している。
 大分類20産業のうち,主たる経済活動がサービスの提供である産業は,「情報通信業」「運輸業,郵便業」「卸売業,小売業」「金融業,保険業」「不動産業,物品賃貸業」「学術研究,専門・技術サービス業」「宿泊業,飲食サービス業」「生活関連サービス業,娯楽業」「教育,学習支援業」「医療,福祉」「複合サービス事業」「サービス業(他に分類されないもの)」「公務(他に分類されるものを除く)」の13種類である。ホテルは「宿泊業,飲食サービス業」に,航空は「運輸業,郵便業」に,銀行は「金融業,保険業」に区分される。
 総務省は「サービス産業動向調査」において,大分類20産業のうち9種類の産業の年間売上高をまとめている。図1.2は,サービス産業の年間売上高の推移を示しているが,年々,増加していることがわかる。

ペティ=クラークの法則
〔法則の意味〕

 ペティ=クラークの法則とは,経済社会・産業社会の発展につれて,第1次産業から第2次産業へ,第2次産業から第3次産業へと就業人口の比率および国民所得に占める比率の重点がシフトしていくという法則である。
 経済学者ウィリアム・ペティは,1690年に出版された『政治算術』のなかで,農業,工業,商業の順に収益が高くなることが一般的な経験則であると述べた。ペティは,経済学に初めて経験的・統計的な研究法を取り入れた学者である。
 1940年,同じく経済学者コーリン・クラークは,産業を第1次産業(農業,林業,鉱業,水産業など),第2次産業(製造業,建設業,電気・ガス・水道業など),第3次産業(情報通信業,金融業,運輸業,販売業,対人サービス業など)の3つに分類する産業分類を考案した。さらに,各国の長期間にわたる膨大なデータから,経済発展につれて就業人口が第1次産業から第2次産業へ,そして第3次産業へ移ることを確認した。クラークは,ペティの記述を引用し,この現象を「ペティの法則」と名づけたが,ペティ自身が明確に提示したものではないので,「ペティ=クラークの法則」と呼ばれるようになった。
 ペティ=クラークの法則が生じる理由としては,第1に,エンゲルの法則が挙げられる。すなわち,所得が増加するにつれて,支出に占める食費の割合(エンゲル係数)が減少する現象であり,ドイツの社会統計学者エルンスト・エンゲルが,1857年にベルギーの家計調査に関する論文のなかで提示した。所得が増えたとしても,人間が食べる量はそう増えないため,その使い道は食費にはあまり向かわず,工業品やサービスに向かうわけである。したがって,経済発展し所得が増加すると,第1次産業よりも第2次産業や第3次産業のほうが成長すると考えられる。
 第2の理由は,労働生産性の問題である。一定の労働が生む付加価値は,サービス業よりも工業のほうが大きい。工場では,技術進歩により大量生産ができたり,機械化で人員削減も進んだりするため,労働生産性が高い。一方,サービスは手作業で行うものも多いので,大量生産が難しい。多くの需要に応えるには,多くの労働者が必要になる。したがって,第2次産業の就業人口よりも第3次産業の就業人口のほうが増加するわけである。
 第3の理由は,アウトソーシングである。たとえば,製造企業が工場の清掃業務を自社の社員で行わず,清掃専門の企業へ委託したとする。そうすると製造企業の人員(第2次産業の就労者)は減り,清掃業者の人員(第3次産業の就業者)は増える。また,清掃専門の子会社を設立して,清掃業務を担当していた社員をその会社へ転籍させ,その会社に清掃業務を委託したとする。そうした場合も,職務実態は変わらなくても,統計上は,第2次産業の就労者が減り,第3次産業の就労者が増えることになるのである。
 アウトソーシングは,家庭でも発生する。親の介護を介護業者へ頼んだり,食事のデリバリー・サービスを使ったり,洗濯をクリーニングやコインランドリーで行ったり,昔は家庭でこなしていたものを専門業者に頼むようになっているので,サービスの需要が増え,第3次産業の就業者が増加するのである。

 ……サービスに関する情報を収集した朝垣が,次にとりかかった仕事とは?
続きは本書でお楽しみください。

有斐閣
2022年1月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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