tofubeatsが音楽活動で感じる「編集」の喜び 「作った音楽が人生を区切っていく」

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tofubeatsさん

森高千里、KREVA、藤井隆といった名だたる人気アーティストとの楽曲コラボで話題となり、現在は執筆等、音楽以外の領域でも幅広く活躍する平成生まれの音楽プロデューサー/DJ、tofubeats(トーフビーツ)。今年5月には4年ぶりのアルバム『REFLECTION』と『トーフビーツの難聴日記』を同日発売。『トーフビーツの難聴日記』は地元・神戸から離れる決断、コロナ禍での活動、そして結婚など、本心が垣間見える内容となっている。本作の刊行が今後の活動にどう影響してくるのだろうか? tofubeats自身が現在の心境を明かしたエッセイを紹介する。

※本記事は文芸誌「新潮」(2022年8月号)に寄稿したエッセイです。

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 5月下旬、「新潮」副編集長の松村氏より弊社の問い合わせフォームからメールが入っていた。文芸誌から原稿の依頼を受けたことは過去になく、新潮社さんとお仕事をさせていただくのは休刊になった雑誌「ROLa」創刊号以来である。あ、新潮をお読みの皆様申し遅れました。私は音楽プロデューサー、もしくはDJを名乗って活動しているトーフビーツと申します。2013年当時、その雑誌にはアイドル特集の座談会に出席していただけで、とくに原稿を書いたわけでもない。

 なぜそんな私に原稿のオファーが来たかと言えば、おそらく今年発表した2つの作品、5枚目のフル・アルバム「REFLECTION」と書籍「トーフビーツの難聴日記」が関係しているだろう。この2つをお聞きに・ご覧になった松村氏が私のことをこのエッセイ欄の著者としてイメージしたのは想像に難くない。もしくは、ずっとそのように昔から思ってくださっていて、この発売タイミングならトーフビーツも書くかな?と思ったのかもしれない。どちらにしてもありがたい話である。

 この例のように、我々音楽で生活している人間は人生がアルバム単位……というかリリース単位で区切られる。メジャーレーベルとはアルバム単位で契約を行っているし、一定の期間のパワーを込めたアルバムをリリースするという行為はやはり人生の区切りみたいなものとリンクしがちである。そしてアルバムをリリースした直後はこの原稿もそうだがプロモーション的な稼働やいただいたオファー仕事に奔走する。アルバム名を冠したツアーを行い、○○のプロモーション期にあれをやったなぁ、と思い出すようになる。そしてアルバム発売の熱が落ち着いたころにまた次の区切り、リリースに向かって制作を始めるのだ。先述のROLaでのお仕事は「lost decade」というインディーズ期に出したアルバムの発売直後の稼働であった。

 しかしアルバムのリリースは決して定期的に行われるわけではない、前作から今作の間は4年も空いているし、最初の方は1年周期でリリースをしている。それなのに「アルバム」という単位で人生にピンが打たれるのだ。

 先ほど申し上げた2作品の制作は前作「RUN」というアルバムの稼働のクライマックスであるワンマンライブを控えたところからスタートする。2018年末のそのライブを控えたある日、博多のビジネスホテルで突発性難聴になった。詳しい話は書籍を見ていただくとして、そこから「REFLECTION」というテーマが生まれ、「難聴日記」の執筆も事実上始まることとなった。自分をよく知る人なら口の軽いトーフがそこからこの書籍の発売まで、よくこの事実を黙っていたなと思うはずである。しかし、「RUN」のタームが終わり、次の名前も知らぬアルバムへのタームが始まってしまっていたこの時期、次作が出るときにこそこの事件は清算されるべきだと思いこの事実が公開されるのは4年後の今年となった。実際にアルバムと書籍が出てしまえばこの難聴の話は誰とでもライトにできる過去の話になった。不思議である。半ば無意識的にではあるが意図的にアルバムのリリースと人生の区切りを接近させようとしていたとも言えるだろう。

 自分は何か目の前の事件や経験から即時的に音楽を作れるようなタイプではない。もちろんタイアップなど事件(?)先行で楽曲を書くこともあるが、基本的にそれとは関係なく年がら年じゅう音楽を作る生活を15年以上既に送っている。そうなると人生の区切りがあるから音楽ができるということではなく、作った音楽自体が人生を区切っていくポイントになっていくのだ。これは非常に興味深い事実だったし、実はこの区切る行為自体に自分は快楽を覚えているのではないか?と最近は思うようになった。

 自分は楽器の演奏などから音楽制作に入ったクチではなく、当初からパソコンを使った編集的な作曲方法を志向していた。その面白さはやはり「時間」や「空間」を操作できることに尽きる。世の中に存在するフレーズを自由に切り貼りして別の姿にすることや、現存しない空間を表現したり、もともとある楽曲のスピードを変えたりするときにはなんとも言えない興奮がある。そして、さらにこの上のレイヤーには「DJ」という行為がある。音そのものやフレーズを切り貼りする楽曲制作よりさらに大きな視点、完成された楽曲自体を自らの時間軸に並べ替えていく行為。これもまた似たような喜びを感じさせる。

 こういった実作業においての「編集」の楽しさについては昔から自覚的ではあったのだが、人生に音楽を作ることで区切りを入れる作業もまた「編集」であるともう一歩踏み込んで理解したのがここ数年の話である。それは日記という同じく人生に区切りをつける行為への興味にも大きく影響し、「難聴日記」執筆のモチベーションとしても大いに働くこととなった。

 DJの本来の仕事はノンストップでお客様の足が止まらないように音楽をかけ続けることだ。左右基本2台のプレイヤーのテンポを合わせて違和感なく楽曲を繋いでいく。その中で必要なのが「頭出し」である。テンポを合わせるために音やドラムが鳴る一拍目をすぐ鳴らせるように準備するのだ。現在はレコードでなくUSBメモリーなどが主流なのだが、そのようなデジタル媒体でDJする場合、レコードと違って一拍目の部分に印を打ってDJ機材に記憶させて頭出しを行う。これを行うボタンが「CUEボタン」である。DJをやるときは基本的に全ての曲にこのキューを打つことになる。次の曲を用意し、キューを打ち、テンポを合わせ、楽曲を止めることなく入れ替え続ける。

 DJ中、自分がこれまでの人生で聞いてきた音楽の経験を目の前のお客さんと対峙しながら並べ替えている時、なんとも言えない喜びを感じることがある。これは一体どういうことであろうか? 今DJをやっているこの時間より前にリリースされた楽曲をこの現在に召喚し直す時、一つの方向に進んでいて介入できないと思われてる自分の人生を擬似的に編集しているように錯覚できるからなのかもしれない。

 今日も早送りし、巻き戻ししてスピードを変えながらキューポインツを打つことばかりをやっている。もちろんこの文章を書くこともそのようなことである。

新潮社 新潮
2022年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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