父親と同世代の男と同棲する16歳の少女を主人公にした新たなゲーム文学 遠野遥『浮遊』試し読み

試し読み

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

 深夜にもかかわらず、病院の中は慌ただしかった。患者なのか、患者の家族なのか、年配の女の人が看護師と大声で何かを言い合っていた。若い医師が駆け足で処置室の中に入っていった。姿は見えないが、どこかの部屋から痛みを訴える大きな声が聞こえた。眼鏡をかけた受付の若い男は左手で受話器を持ち、右手で書きなぐるようにメモをとっていた。彼女は受付の男が受話器を置いたタイミングを見計らい、あの、と声をかけた。しかしすぐに次の電話が鳴り、取り合ってもらえなかった。通りかかった看護師にも声をかけたが、声が小さすぎたのか、彼女には目もくれず歩いていった。

 ここで操作が再び私に戻った。近くにいる人間に何度か話しかけてみたが、誰も彼女の話を聞かない。仕方がなく、廊下を奥のほうへと進んだ。いくつか並んだ診察室の前を通り過ぎ、第二CT室と書かれた部屋を右手に見ながら細長い廊下を歩いていった。進むにつれて人気がなくなり、やがて誰の声も聞こえなくなった。診療エリアから出たのか、途中から廊下の明かりも途切れた。それでも奥へ進んでいった。廊下は不自然なほど長かった。

「どうしましたか」

 突然声が聞こえ、思わず息を呑んだ。イヤホンをつけていると、まるで自分のすぐ後ろに誰かがいるかのようだ。テレビの中の彼女も短く悲鳴を上げた。彼女が振り向く。すぐ近くに、白衣を着た年配の男性が立っていた。頭髪には白髪が混じっていて顔にはシワが目立ち、左頬のあたりに大きなシミがあった。シミのかたちには特徴があり、長野県のかたちによく似ていた。

「面会ですか」

 初めてまともに話を聞いてくれそうな人が現れ、安心したのだろうか。彼女は少しほっとした様子だった。面会ではなくて、と彼女は答えた。気付いたら記憶がなくなっていて、こんな時間に申し訳ないけれど、できれば診てもらいたいのだと彼女は言った。

 突拍子もない話だが、医師はすぐに事情を呑み込んだようだった。

「それは心細かったでしょう。ついてきてください、すぐに診てあげますからね」

 医師は病院の奥のほうへ歩き出した。診察室は逆ではないかと彼女が聞くと、医師は先ほどの言葉を繰り返した。

「ついてきてください、すぐに診てあげますからね」

 不審に思った彼女は、その場から動かなかった。すると前を歩いていた医師が振り返り、彼女にゆっくりと近付いてきた。

「どうかしましたか。早く処置しないと手遅れになるかもしれませんよ」

 何か様子がおかしかった。どこからか、逃げろ、という声が聞こえた。その声に背中を押されるようにして、彼女は走り出した。

 ここで操作が私に戻った。

「怖がらないでください、すぐに済みますからね」

続きは書籍でお楽しみください

河出書房新社 文藝
2023年2月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社河出書房新社「文藝」「Web河出」のご案内

常に最新鋭の作家たちが「現在/現代」(いま)を表現した作品を届けるとともに、新たなる才能、そして表現を「現在/現代」(いま)を生きる読者に届ける。

河出書房新社の本のポータルサイト。書評、解説、対談、連載などなど、本にまつわる様々なコンテンツを掲載しています。