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- きらきらし
- 価格:1,980円(税込)
日向坂46を卒業した宮田愛萌による初小説集『きらきらし』(新潮社)が刊行された。
大好きな万葉集から想像を膨らませて執筆した5つの物語が収録された本作は、宮田自身のお気に入りを詰め込んだ「卒業制作」に位置づけられる作品だ。
また、熊木優撮影による写真も収録。花畑で無邪気にはしゃぐ姿からドレスをまとう大人びた表情、両親に買ってもらった思い出の振袖姿まで、アイドルとして最後の姿を収めた一冊となっている。
今回はその中から、試し読みとして小説誌「小説新潮」に発表した短編「ハピネス」の一部を公開する。
***
ハピネス
スノームーン。金沢の美しい雪景色を思い浮かべながら口の中で呟く。
私は自宅の前で止まった車の中で、運転席の方を見ずに口を開いた。
「私と結婚しませんか?」
わずかに彼の息をのむ音がする。
「先に言うなよ。俺から言おうと思ってたのに」
急に抱きしめられる。その腕は限りなく優しくて、肩にシートベルトが食い込んで痛かったけれど、私も彼の背に腕をまわした。
大好きな人の義姉になる幸せな絶望をかみしめながら。
小学三年生の夏休み。観劇が好きな祖母に勧められ、私は母と近所のバレエ教室を見学していた。人見知りかつ運動が苦手な私は当然乗り気でなく、漫画を買ってあげるという言葉につられて来ただけだった。そこで私は出会ってしまった。
同世代の華奢な女の子たちが集まる中でも目立つ、すらりとした体躯。カラフルなレオタードにサテンのバレエシューズの子が多い中、一人だけ黒いレオタードと艶のない革のシューズを履いたその少女は大人びていた。聞きなじみのないクラシック音楽にあわせ、長い手足をめいっぱい使って踊る姿に目が離せなくなる。昔買ってもらった金平糖みたいだと思った。小さなビンにつめられているキラキラとしてカラフルなお菓子。「美しい」という言葉を初めて実感した瞬間だった。
だから、レッスンが終わったあと、少女が駆け寄ってきた時に私はひどく驚き、まじまじと彼女を見つめてしまった。近くで見るとその大きな目は長いまつ毛に縁どられ、瞳は濃いブラウン、唇はほのかに赤い。首筋は汗ばんでいて、シニヨンにまとめられた黒い髪に、白い肩は少女らしく骨ばっていた。
「ねえ、新しい子?」
少女はにっこりと微笑んだ。大きな目で見つめられると妙にどぎまぎしてしまって、私は下を向いた。
「わたし、カレン。バレエ、一緒にやろうよ」
「できるかわかんないし」
「わたしが教えてあげる。名前なんていうの?」
「希南(きな)」
顔をあげるとカレンは言った。
「希南が来るの、楽しみにしてるね」
そう言われて、私は何も言うことができずに、こくんとうなずいた。通わないという選択肢はなくなった。
バレエ教室に通い始めてから、カレンと仲良くなるのはあっという間だった。カレンは人懐っこく、人見知りする私にもよく話しかけてくれる。
「ねえ、希南って、小学校どこ? 同い年の子、いなかったから嬉しい」
「希南って、兄弟いるの? わたしはお兄ちゃんがひとり」
「くるみのブルーレイ買ってもらったから、一緒にうちで見ない? ロイヤルのやつ」
そんな質問ひとつひとつに丁寧に答えていくたびに、どんどん距離が縮まっていった。通う学校は違ったが、休みの日には一緒に図書館で勉強したり、カレンの家でバレエの動画を見たり、私の家で漫画を読んだりした。私たちは親友と呼べる存在になっていた。
三歳の頃からバレエを習っているというカレンは、気取るところがなく、たくさんの人に好かれていた。そんなカレンと仲良くできることが、私にとっては誇りであると同時にプレッシャーでもあり、カレンに追いつくために必死でレッスンを受けた。初めは週一回だったレッスンも、カレンがトウシューズを履くようになってクラスが分かれてしまうと、三回に増やした。上達していくのはカレンに近づいていることが感じられて嬉しかった。気がつけばカレンと同じクラスに上がっていた。
カレンの踊るその姿を見ていたくて、私はいつも後ろの方でレッスンをしていた。指先まで神経を張り詰めてキープされる腕や、微かに震えながらもギリギリの高さまであげられる足。たまに間違えてもすました顔で修正し、終えた後にちょっとだけ悔しそうに眉根を寄せて、もう一度確認する仕草。音楽にあわせて、まるで歌うように踊る姿に、私は夢中だった。
「希南って、絶対バレエッスンでは端にいかないよね。端の方が踊りやすくない?」
カレンに聞かれたことがある。カレンの姿を見ていたいから、とは言えずに、
「だって、なんかまだ不安だから」
と答えると、カレンは笑った。
その言葉が、何よりも嬉しかった。カレンが私のことを「上手い」と言った。こういう時にお世辞を言うタイプではないことを知っている私は、簡単に舞い上がり、つられて次のレッスンではカレンの隣に行ってみようかな、なんてことまで考えた。
私は地元の中学校、カレンは付属の私立中学に進学しても私たちは変わらず親友だった。私はテニス部、カレンは陸上競技部に入ったためにレッスンは週二回に減ったが教室へは通っていたし、テスト前には一緒に勉強をした。教科書に「浅井佳恋」と漢字で名前が書かれているのを見て、なぜか胸がドキドキした。
カレンは英語が得意で、長文を読むのに飽きてしまう私に、「読めば全部書いてあるからとにかく読んで」とあまり参考にならないアドバイスと、高校受験の時にはお守りをくれた。
私にできることはカレンの苦手な数学を必死に勉強し、何食わぬ顔で教えてあげることだった。おかげで私の数学の成績も以前よりぐっと上がった。
「希南、人に教えるの上手いよね。先生になればいいのに。希南が数学の先生なら、私の成績も、もうちょっと良くなるはず」
そんな、ずっと続くと思っていた関係に、私は油断していたのだと思う。
「希南、今日帰り急いでる?」
レッスンの前にストレッチしていると、カレンに尋ねられた。高校二年生になってこんな風に誘われるのは久しぶりだった。
「ううん。中間テストも終わったし、何もない」
「おっけー」
「え、なに」
「秘密」
楽しげに笑うカレンに少しだけ嫌な予感がした。
先に着替えて外へ出たカレンを急いで追いかける。少し革がゆるみはじめていたローファーが、地下のスタジオから階段を上るたびにパカパカと音を立てた。
スタジオ前の路上には黒い車が止まっていて、その横にカレンと背の高い男の人が待っていた。暗くて顔はよく見えなかったが、ガードレールに軽く腰かけた男の人と、短いチェックのスカートにパーカーを合わせ制服風にコーディネートをしたカレンは、どこからどう見てもお似合いのカップルだった。急に軽いめまいのような感覚に襲われる。
ぼうっと突っ立っていると不意にカレンがこっちを向いた。慌てて作った笑顔でカレンのもとへ向かう。隣の男の人が軽く会釈をした。
「カレン、お待たせ。えっと」
尋ねるように隣の人を見ると、カレンが微笑みながら言った。
「あ、お兄ちゃんに会うの久しぶりだよね。免許取って、運転も慣れてきたみたいだから迎えに来てもらったの。希南のことも家まで送ってもらおうと思って」
「いつも妹がお世話になってます。兄の浅井圭です」
そう言って、背の高い男の人はカレンにそっくりの顔で笑った。私が動揺して何も言うことができないでいるうちに、二人は会話を進めていく。
「お兄ちゃんと希南って会うのいつぶり? 小学生の時とか?」
「佳恋が発表会でクララやった時じゃない?」
「そっか。じゃあ私たちが小六の時かな。五年ぶりくらい?」
そう話しながらカレンは慣れた仕草で圭にカバンを渡し、圭も自然に受け取って助手席に置いた。その一連の流れにどうしようもなく嫉妬している自分がいることに、私は気づかぬふりをした。
「懐かしい、です」
突然の出来事に頭がついていけず、ぎこちない会話になる。そんな私をカレンは笑った。
「希南、お兄ちゃんにも人見知りしてる。気、遣わないでいいのに。ていうか遅くなっちゃうから早く車乗ろ」
「いいのに、は俺のセリフな。でもほんと、希南ちゃん、遠慮とかいいから」
「ありがとうございます。でも送ってもらうのは、その、申し訳ないです」
「全然。運転好きだから、むしろラッキーだよ」
カレンが車の後部座席のドアを開けて、乗るように促す。
「どうぞ、希南お嬢さま」
私が乗ると、カレンも「詰めて」と言いながら隣に座った。てっきりカレンは助手席に乗るものだと思っていたので、少し驚く。
「隣の方が話しやすいじゃん。最近テストとかあって全然話せてなかったから、お兄ちゃんにお迎え頼んだんだ。ちょっとドライブしてから帰ろ」
頬が緩む。カレンが私と話したいと思ってくれていることがたまらなく嬉しかった。
「最初、ふたりを見たとき、彼氏を紹介されるのかと思った」
希南が正直に白状すると、カレンは「えぇっ」と大袈裟に驚いてみせた。
「私って、小学校からずっと女子校だよ? 彼氏なんて、できるわけないじゃん」
「でもカレンは可愛いから」
「ないない。あるとしたら希南でしょ。共学なんだし、部活とか委員会とかで胸キュンがあるんじゃないの?」
あまりにも共学に夢を見ているカレンの発言に思わず笑ってしまった。
「全然ない。少女漫画の読みすぎじゃない?」
女子校だから彼氏なんてできないという言葉に安心している自分の浅ましさに少し悲しくなった。なにがあっても私とカレンは親友でしかないのに。
「あ、でもお兄ちゃんはめっちゃモテるよ。中高男子校だったけど彼女いたし」
カレンがにやにやしながら圭に話を振る。確かに圭はカレンに似て顔が整っているし、妹とのやり取りを見る限り優しい人なのだろうなと思う。
「俺に振るなよ。いま、彼女いないし」
「え、嘘。この間、ハナって人のインスタのストーリーにお兄ちゃんぽい人写ってたけど、デートじゃないの」
そう言ってカレンがインスタグラムを開いて、私にも見せた。キラキラしたいかにも女子大生然とした写真が並ぶアカウントは眩しかった。
「ただのサークルの子だよ。偶然写ってただけだろ。ってか俺のインスタ監視すんなよ」
「部活の先輩のインスタから見つけただけだし。希南の前で、妹を勝手にブラコンにしないでくれないかなあ」
足を組んで少し頬を膨らませてみせるカレンはあざとくて、その仕草を見ているだけで心臓がぎゅっとする。なにより、妹としてのカレンが新鮮で、見ていてとても楽しい。ふと、私が圭の彼女になれたら、またこうした楽しい時間が過ごせるのではないかと思った。それは思い付きにしてはあまりにも名案で、あまりにも利己的だった。
「そうだ、希南もお兄ちゃんのインスタ、フォローしなよ。投稿全然面白くないけど」
そうして一人増えたフォローが少しこそばゆかった。
帰宅して、お風呂上りに今日フォローした圭のインスタを見る。それは旅行に行った景色とかサークルの仲間たちとの集合写真とか、カレンの言う通り、面白くないというか、当たり障りのない投稿が並んでいた。確かにフォロワーには女子も多く、モテるのだろうなと思った。
カレンが見せてくれたハナという人もフォロワーにいて、投稿を眺める。ストーリーは足跡が付くので見られないが、過去の投稿にも圭が写り込んでいるものがあった。ただ、同じくらい他のサークルメンバーも載っていて、ハナという人が圭のことを気にしているのかどうかまではわからない。
ここで、私は本気で「圭さんと付き合えたら」ということを考えているのだと、気づいてしまった。今までも、そしてこれからもカレンの隣にいるのは私がいい。自分の中にこんなに醜い感情があるなんて知らなかった。これは嫉妬だ。圭と、まだいない、いつかカレンの隣に立つ人への嫉妬。
インスタのDMで圭に「今日はありがとうございました。久しぶりに会えて嬉しかったです」と送る。自分の容姿に自信はないけれど、どうにかして彼を振り向かせなくては。そのための努力なら私は絶対に惜しまない。
それから私は、ことあるごとに圭と接点を持つようになった。
ほぼインスタだけでのやり取りだったが、勉強を教えてもらったり、大学について質問したり、細々とだが、やり取りを続けた。カレンは大学付属校に通っているから受験はしない。その代わりに受験を経験している圭にその相談もした。
大学受験を理由に私はバレエを辞めたが、気が付けば、カレンと三人や、カレンがいない時にも二人で会うようになっていた。
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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。
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