借金まみれで息子のバイト代をよこせと言った「ウォルト・ディズニー」の父…親子3代をめぐる物語とは

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ウォルト・ディズニー(NASA, Wikimedia Commons)

2023年10月に創立100周年を迎えるウォルト・ディズニー・カンパニー。

創立者のウォルト・ディズニーは、1901年にアメリカのイリノイ州シカゴの小さな家で4男として生を受ける。その後、アニメーターとして「ミッキーマウス」をはじめとする数々のキャラクターを生み出し、兄のロイと共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーを国際的なエンターテイメント複合企業へと発展させた。

そのウォルトが、ディズニーランドというテーマパークを設立するにあたり並々ならぬ執着を見せたのが鉄道だったことは第1回でご紹介した通りだ。初期のディズニーランドは、さながら「交通博物館」の趣を見せていたのだ。

その理由を、有馬哲夫・早稲田大学教授は『ディズニーランドの秘密』(新潮社)で、ディズニー家の来歴にあると述べている。祖父は移民で父は借金まみれと、貧困を味わったウォルトがなぜ鉄道を心の拠りどころとしたのか。ディズニー家3代をめぐる歴史をひもといてみよう――。(全2回の2回目)

(以下は有馬哲夫著『ディズニーランドの秘密』〈新潮新書〉をもとに再構成したものです)

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貧しいアイルランド移民の祖父は11人の子だくさん

ウォルトの祖父ケプルはアイルランドの農家に生まれ、新大陸に移り住んだ移民でした。移住先の カナダのオンタリオ州ブルーベールで、同じくアイルランド系移民のメアリ―・リチャードソンと結婚し、1859年には長男が誕生します。それが、ウォルトの父となるエライアスでした。寒冷な気候の安い土地に暮らしているうえ、子供がなんと11人にまで増え、生活は苦しくなってきます。

そこで1878年、ケプルは長男のエライアスと次男のロバートを連れ、カリフォルニアへ金鉱探しに出発します。しかし、この時はゴールド・ラッシュのブームが終わってから30年近く経っていました。おそらく道中で出会った人々から、今ごろになってカリフォルニアに金探しにいくことの無意味さを説きつけられたのでしょう。彼らはカンザス州のエリスという町でそれ以上西に向かうことをあきらめ、80ヘクタールの土地をユニオン・パシフィック鉄道の代理店から購入することにします。

なぜ鉄道会社が移住者に土地を売るのかというと、この会社は新しいアメリカ大陸横断鉄道を敷設するのと引き換えに、州や郡や地区から土地を譲り受けていたからです。そして、鉄道会社は鉄道が延びるたびにただで広大な土地を手に入れ、それを現金化するためにケプルのような移住者に安く売ったのです。

父はゴールド・ラッシュを夢見るが挫折しフロリダへ押しかけ求婚

カンザス州のエリスに定住を決めたケプルはブルーベールから家族を呼び寄せましたが、のちのウォルトの父・エライアスは納得できません。彼はカリフォルニアへ金を探しに行きたかったのです。しばらくは父を助けて農業をしましたが、満足できずユニオン・パシフィック鉄道で働くことにしました。西に向かって鉄道を敷設する班に入り働きますが、コロラド州デンヴァーまで開通すると建設工事は終わってしまいます。エライアスは、しばらくこの地で職を探したものの見つからず、しかたなく実家のあるエリスに帰りました。

エリスに戻ったエライアスは、小学校で教えていたしっかり者の女性フローラ・コールに恋をします。ところがフローラの父は、カンザスの冬の寒さに嫌気がさし、一家でフロリダに引っ越してしまいます。すると、エライアスは、なんと父のケプルとともに父子でフロリダに同行したのです。フローラ一家がフロリダのアクロンに落ち着くと、さすがにケプルは考え直してエリスに戻りましたが、エライアスは驚いたことに、近くのキシミーに土地を買ってそのままとどまりました。

ここまでされたフローラの気持ちはどんなものだったでしょうか。カンザス州エリスとフロリダ州アクロンの距離は、日本だとだいたい北海道の稚内から沖縄の那覇までの距離です。エライアスは、相当な想いだったといえます。それも10代の若者ならばまだわかるのですが、エライアスはもう28歳になっていました。

ウォルトの誕生とサンタフェ鉄道の思い出

1888年、フローラは19歳で、ついにエライアスの求婚を受け入れ結婚します(この当時では10代の結婚は普通でした)。夫婦は近くのデイトナビーチに居を構え、オレンジ農園を買いました。そして、その年のうちに長男ハーバートが生まれました。ところが翌年、オレンジ畑の全滅とマラリアの罹患を経験したエライアスは、シカゴでコロンビア万博が開かれるので建築関係の求人があると聞きつけます。チャンス、とシカゴに引っ越したエライアスは、万博関係の建設現場で働き、かなりの収入を得ました。それから独立して建築請負業を営むまでになります。

そして、シカゴ市内のノーストウェストタウンという町に小さな家を建てました。次男レイモンド、三男ロイ、そして四男ウォルト、末っ子で長女のルースはこの家で生まれました。おそらくエライアスの人生でこのシカゴの17年間はもっとも幸せな時期だったでしょう。

万博が終わり建設の仕事がなくなっていくと、エライアスは家を売ってミズーリ州マーセリンに土地と比較的大きな家を買いました。アチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道がカンザスシティとシカゴを結ぶルートとしてここに鉄道を通すという情報を得ていたからです。エライアスにこの情報を伝えたのは、すでに独立しこの地に住み着いていた弟のロバートでした。フローラの義理の兄マーク・マーティンも、サンタフェ鉄道の機関士としてフォートマディソンとマーセリンの間の機関区を受け持っていました。


『ディズニーランドの秘密』(有馬哲夫、新潮社)より抜粋

 のちに、ウォルトはディズニーランド内を走る鉄道を「サンタフェ鉄道」と名付けます。マーセリンを通っていたサンタフェ鉄道をモデルにしたのです。マーセリンは、鉄道さえなければ、ところどころ家と耕作地がある緑の大平原のなかの孤島のようなところでした。テレビやゲームといった娯楽のない20世紀のはじめに、このような田舎町に住む子供たちにとって、汽車がどんな存在だったか。

ウォルトは当時、よく線路に耳をつけて汽車が近づいてくる音を聞いたといいます。そして、汽車がやってくるとちぎれんばかりに手を振ったそうです。伯父で機関士のマークが乗っていると手を振り返してくれるからです。ウォルトにはそれがうれしくてなりませんでした。このマーク伯父さんは、ときどきキャンディーをお土産に家を訪ねてきてくれました。

当時の子供たちにとって、汽車を見ることは楽しみでした。鉄道はいつもなにか新しい、よいものを持ってきてくれるからです。そして、まだ見ぬ世界、未知の世界と繋がっているからです。

ふたたびディズニー家は貧困に陥り、父のせいで兄弟は次々と家出……

さて、ウォルトの父エライアスの人生の常として、このマーセリンでの生活も長続きしません。長男ハーバードと次男レイモンドは、父といさかいを起こして家出してしまいました。二人が叔父ロバートの農場でアルバイトして貯めたお金で懐中時計を買おうとしたところ、エライアスがそのお金は一家の借金の返済に充てるのでよこせといったので、すっかりいやになってしまったのです。それほど、家は貧しくなっていました。

そのうえエライアスは腸チフスにかかってしまい、厳しい農作業ができなくなってしまいます。いまや5人になった一家は、マーセリンの土地を売り、サンタフェ鉄道の中継点になっているカンザスシティに移り、新聞販売店を始めます。一家の生活はここでも楽ではなく、ウォルトは兄のロイと様々なアルバイトをしました。

そのひとつがサンタフェ鉄道の車 内販売の売り子でした。ウォルトはこれをロイから引継ぎましたが、いろいろトラブルにあい、あまりお金にはなりませんでした。でも、汽車にたくさん乗れたということが、ウォルトにとっては喜びだったようです。

その後、父エライアスは家族と再びシカゴに戻ってゼリー工場の工場長になりますが、今度はウォルトが父と喧嘩して家出し、カンザスシティの銀行で窓口係をしていた兄のロイを頼りました。ロイは勤め先の銀行と取引があった広告会社のペスメン・ルービンの仕事をウォルトに紹介します。

ウォルト・ディズニーの成功と一族の夢

ここでウォルトは、アブ・アイワークスやそのほかのアニメーターと出会い、やがてニューマンズ・ラッフォグラムというアニメーション制作会社を起こしました。この会社がいろいろな経緯で倒産したあと、ウォルトは西に向かうことにします。カンザスシティのユニオン・ステーションから汽車に乗り、ロサンゼルスのユニオン・ステーションに降り立ちます。そこで再起して、ロイと一緒にディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオを始め、ミッキーマウス・シリーズなどによって成功の階段を一気に駆け上がっていくのです。

カンザスシティで事業に失敗したとき、ウォルトが鉄道で、東ではなく西に向かったというのは興味深いことです。当時、アニメーションの本場はニューヨークで、ハリウッドは映画の都でしかなかったのです。やはりウォルトはかつて金を求めて西のカリフォルニアを目指したエライアスの子だったということでしょう。父はデンヴァー止まりでしたが、ウォルトはついにカリフォルニアに達しました。そして、映画の世界で兄のロイとともに、途方もない金鉱を掘り当てるのです。父やおじいさんの夢を彼らがかなえました。

***

鉄道は、ディズニー一家のアメリカ国内での移動や生業と深く関係し、人生の重要な場面にかかわっていた。それは彼らに限ったことではなく、当時の多くのアメリカ人に共通したことだったともいえる。

いささか無計画で借金まみれにもなった父をもち、貧しさを味わったウォルトだからこそ、幼い頃から鉄道への強いあこがれを持つようになったのだろう。そしてこの童心こそが、ディズニーランドが人々を魅了する“夢”の源泉なのかもしれない。

【第1回:実は鉄道マニアの「ウォルト・ディズニー」は交通博物館を作ろうとした…100周年を迎えるディズニーの秘密 を読む】

有馬哲夫(ありま・てつお)
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『日本人はなぜ自虐的になったのか』など。

Book Bang編集部
2023年5月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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