すべてを奪った億万長者たち……デジタル社会の光と闇を暴く一冊

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 デジタル技術が社会、文化、経済に与える影響について批判的な面とポジティブな面と両方を指摘しているダグラス・ラシュコフは、欧米において示唆に富むメディア理論家として知られている。
 デジタル社会が、テック業界の億万長者を効率的に生み出す仕組みを赤裸々に語り尽くし、成熟した資本主義社会に奉仕する私たちデジタルユーザーの姿を、改めて私たちに突きつける。そこに失われた人間としての大切さを、私たちはどう取り戻すのか?

 経営学者の視点から中川功一 氏がラシュコフの新刊「デジタル生存競争 誰が生き残るのか」を解説する。

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デジタル技術という、激しい「光」

 デジタル技術とは、人類にとって、強烈な光である。

 しかし光とは、その輝きの恩恵を享受し、感謝し、社会の隅々までそれをあまねく照らそうとする人々の意に反して、強く輝くほどにその影をも濃くしてしまう。

 本書は、デジタル技術とそれを支える現代社会構造の、輝きをこそ深く理解している著者ダグラス・ラシュコフだからこその、表裏一体であるデジタルの陰について徹底的に糾弾を行うものである。

 本書の著者は、これまでもたびたびデジタル社会の危険性を警鐘してきた、ラシュコフ氏である。氏にはこれまでにも「ネット社会を生きる10か条」「チーム・ヒューマン」などの著作があるが、それらと比べると、本書はもっと直截的な表現が用いられ、デジタル社会の欺瞞を激しく糾弾せんとする意図を感じる。

 だが、氏の意図には反するかもしれないが、私が拝読した限り、ラシュコフ氏はむしろ、デジタル社会の光の側面をただしく理解している人であるように思う。本書を読んでまず感じるのは、ラシュコフ氏のデジタル技術への深い理解である。それが人類にどういう恩恵を与えるかもまた、よく理解されているように思う。だからこそ。それらデジタル技術の恩恵に「隠れてしまっている」―あるいは私たちが「見ないようにしている」深い闇のほうにこそ、いいかげん気づくべきだ、目を覚ますべきだと、氏は声高に叫ぶのである。

 かくして本書は、デジタル技術とそれを中心に据えた社会システムの問題を糾弾する形式をとりつつ、読み進めていくことで、我々日本人にとってはむしろデジタル技術が社会にもたらす恩恵の本質にこそ気がついていくことになるかもしれない。そして、功罪両面あるものとして、私たちの眼前には、デジタル技術の容貌がかつてよりも明瞭に浮かび上がってくるのである。

デジタル全体主義への個人的挑戦

 本書で筆者が批判しているものに名前を与えるとするなら、それは「デジタル全体主義」と呼ぶべきものであろう。そして、明言こそしていないが、これに対する筆者の立場は「反デジタル」の「自由主義」ないしは「人間主義」と呼ぶべきものだろう。その技術の特性として全体化が志向されるデジタルの中で忘れ去られてしまう、アナログに宿る人間性の回復をこそ、著者は志向している。筆者がここで槍玉にあげているデジタル全体主義と、それに対する筆者の主張を、ざっとまとめておくことにしよう。


デジタル技術に関する理解のまとめ

 こうして整理してみても、ラシュコフ氏は何よりもデジタルの強さ・優位性と、その本質を正しく理解しているといえる。デジタル技術は、個人についての莫大なデータを積み上げ、それを用いてデジタル空間に理想郷を構築せんとするものである。それは実際、その技術の恩恵にあずかる人にとっては、とても幸福なものであろう。データに沿って、あなたの目の前には、自分のライフスタイルや趣味嗜好に沿った万物がナッジ(本人がそれと気づかないうちの、行動の促し)されてくる。それらを素直に享受している分には、何らの疑問も持たず幸せに生きることができる。

 だが、それを可能たらしめるデジタル技術は、我々に「全体の一部」であることを強いる。企業や政府にデータをすべて提供し、彼らが提示する善き人生のレールに乗ることを要求される。そこから外れれば、現代社会は猛烈に過ごしにくいものになる。必然、私たちはこの幸福なる管理社会を甘んじて受け入れなければならなくなる。いまや資本主義経済のなかではGAFAのような莫大な個人データを独占するデジタル・コングロマリット(巨大企業)による支配が成立し、かたやコミュニストの社会では、デジタル・レーニン主義が息吹をあげている(※1) 。

 この仕組みの中で幸福を享受することが、人間的な暮らしなのか。それは、本来見なければならないものを、見ないようにしているだけではないのか。ナッジの中にどれだけの自由意思が残っているのか。AIの利便性にかき消された、もっと気まぐれな、非合理的な、プログラマブルではない何かこそが、我々がいま喪失しようとしている、人間として大切なことなのではないか、と。

語られないことについて

 だが、著者ダグラス・ラシュコフは唐突にここで筆を止める。その点をもって、本書に対していくばくかの不満を感じた方もおられるのではないかと思う。だが、この態度にこそ、ラシュコフ氏の思想と矜持、あるいは、願いがある。

 もし、ここでラシュコフ氏が「デジタルの支配構造に抵抗せよ。武器をとれ。我について来給え。そして、かく戦え」と、私たちに向かうべき道を授けたならば―それは、氏がここで糾弾してきた全体主義、自由意思への侵害にほかならないからだ。

 何を受け入れ、何を信じ、どう行動するも、一人一人の意思に任され、そこに選択がある。あまつさえ、デジタル技術を受け入れてこれまで通りに暮らすことすらも、そこでは選択の自由が与えられている。「こちらのほうが、良い選択なのだから、甘んじて受け入れるべき」という態度こそが、ラシュコフ氏が本書で糾弾してきたマインドセットにほかならない。ラシュコフ氏は、あくまで人間の自由意思の可能性を信じる。それは、データの奔流が社会全体の効率性をドライブする力にくらべれば、ほんの小さなものだろう。それでもなお、筆者は、一人一人の人間が、自ら能動的に考え、自分なりの答えと道を見出す力を持っていることを信じているのだ。

 徹頭徹尾、人間賛歌。我々の可能性に賭けて、願いをもって未来に開かれている本である。

※1:及川淳子(2022)「中国「デジタル・レーニン主義」の思想的背景」『国際問題』705, 52-62.

中川功一(なかがわ・こういち)
1982年生。経営学者/2004年東京大学経済学部卒業、 2008年東京大学大学院経済学研究科修了(2009年、経済学博士)、2008年駒澤大学経営学部 講師、 2012年大阪大学大学院経済学研究科 講師、 2013年大阪大学大学院経済学研究科 准教授、2021年やさしいビジネススクール設立、学長就任/YouTuber/専門は、経営戦略論・イノベーション・マネジメント、国際経営。 「アカデミーの力を社会に」をライフワークに据え、日本のビジネス力の底上げと、学術知による社会課題の解決を目指す。 オンライン経営スクール「やさしいビジネススクール」を中心に、YouTube・研修・講演・コンサル・著作等で経営知識の普及に尽力している。 主な著書に『13歳からのMBA』『ど素人でもわかる経営学の本』『戦略硬直化のスパイラル』など。

中川功一 協力:ボイジャー

ボイジャー
2023年6月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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株式会社ボイジャーのご案内

1992年創業。米国ボイジャーとの合弁。現在は独立企業。日本で真っ先にデジタル出版に取り組み、今日まで市場開発を続けてきた。エキスパンドブック、T-Time(ティータイム)、dotBook(ドットブック)の開発元。デジタル出版のWeb(ウェブ)への移行の状況を受け止め、2010年からインターネットブラウザをリーダーとしたデジタル出版の活動を強化し、“Books in Browsers(ウェブブラウザの中の本)”を基準としたRomancer(ロマンサー)、BinB(ビーインビー)の市場導入を行った。同時にWebでの出版に際して、フォーマットの世界標準を重視し、IDPF(International Digital Publishing Forum)やW3C(the World Wide Web Consortium)に参加している。また、EPUB日本語基準研究グループ(EPUBJP)を推進する。出版は「すべての人のメディアである」という考えを堅持し、新時代の技術や方法を多くの人々に寄与する活動を続けている。