武将・弘中隆兼はなぜ盟友だった吉川元春と対立したのか? 厳島合戦の壮絶な人間ドラマを描いた時代小説 武内涼『厳島』試し読み

試し読み

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

「あ……。殿様でございましたかっ、こりゃ、大変なご無礼を……」
 隆兼は厳しく、
「お主、また酒を飲んでおったな?」
 平六は決り悪げに項垂(うなだ)れ、何かごにょごにょ言いながら厚い手で無精髭をこねる。
 平六と飯を食っていた足軽たちが、笑う。
「この前、わたされた米でどぶろくをこしらえたのであろう? あれは、もしもの時の糧ぞ」
「…………」
 隆兼は、頭を振り、
「そうやって食う米を飲んでしまえば、結句、お主だけ、米が足りなくなる。お主は……飢える。戦場で飢えた兵が何をするか?──乱暴狼藉だ」
 隆兼は略奪蛮行を嫌った。
 厳しく、禁じていた。
 略奪蛮行の多くは……食えぬことで起きる。
 大内勢は、隆兼の働きかけもあり、確固たる補給をおこなっていたが、ろくな補給の段取りもせずに、戦をはじめる大名が多い。
 そのような大名に仕える足軽雑兵は「戦に出れば飢饉も同然」と囁き合っていた。
 大名とすれば、戦に駆り出した兵を、飢え死にさせるわけにもいかない。
 だから、そういう大名は略奪蛮行を黙認、あるいは奨励した。
 敵地の村に押し入り、米を奪い、抵抗する百姓は斬り殺し、家々に火を付ける。
 乱取り、人取り、と言って、女子、あるいは誘拐しやすい子供をさらって──人商人に売って銭に換える。
 隆兼はこのような行為を憎んでいる。
 だから、隆兼が戦に出る時は、兵をたらふく食わせ、略奪に走らぬように心がけた。
 それでも銭金目当てで村を襲う兵士はいるわけで──隆兼は左様な輩を厳しく取りしまっている。
 此度の合戦でも、晴賢に、
『此度の敵、石見の吉見は元は大内の臣。つまり、これは大内の者同士の戦で、吉見領の百姓商人は大内領の百姓商人と言えます。これに乱暴狼藉をはたらいては陶殿の名声は、地に落ちますぞ』
 と、進言、晴賢から全軍に乱暴狼藉を禁じる制札を出させている。
 だが晴賢の側近には隆兼と異なる考えの荒武者どももおり、彼らは、
『弘中め……。出過ぎた真似を。戦で乱取りを許さねば、兵どもの士気が下がってしまうわい』
 などと囁き合っていた。
 隆兼は、拗ねた熊のようになった平六に、
「そなたは腹を空かすと、すぐ盗みに走りそうな不敵な面構えをしておる」
「そんな……。殿様、ひどすぎますっ」
 平六から抗議が飛ぶ。
「わしは筑前の出で……わしの村は侍に襲われ、火をかけられ、お母は攫われました。その後、一度も……お母を見ていません。きっと、他国に売られたんです」
 初めて聞く話であった。
 平六の目には、涙がにじんでいる。
 大男は、声をふるわし、
「わしゃ、百姓をいたぶる侍には決してなるまいと思うて、殿様の足軽になりましたっ。殿様が……乱取りや人取りを、嫌われとると聞いたゆえ……」
「…………」
「そのわしに……腹を空かすとすぐ盗みに走りそうな顔をしておるというのはいくら何でも……いくら何でもっ──」
「心無い言葉であった。許してくれ。平六」
 隆兼は分厚い手の甲で目をごしごしこする大男に、真摯な面差しで、わびた。
「……母御のこと。さぞ、辛かったろう。立派な武士になり、そなたが名を轟かせば……母御と再会できる日もくるはず。急度、くるはず。その日を皆で祝わせてくれ」
 平六はうつむき、
「そんな、殿様……許してくれだなんて……勿体ねえ」
 小さくなった平六はか細い声で、くり返す。
「勿体ねえよっ」
 隆兼は、平六に、
「周防岩国からもって参った秘蔵の美酒がある」
 隆兼は安芸の大内領をあずかる武士であるが、本領は周防岩国である。
「それを、そなたにとどけさせよう。今宵はたらふく飲め。だが明日からは、酒を控えめにし、存分にはたらいてくれよ」
「へい!」
 平六は力強く応じ共に火をかこんでいた足軽雑兵から肩を強く叩かれた。
 ひょろりとした和木三八が、隆兼の傍らで、
「平六がどぶろくにしてしまった米は如何しましょう? また、取らせますか?」
「また取らせたら……平六は反省しまい」
 和木三八、細い目をさらに細めて、出っ歯を舐めるや悪戯っぽい笑みを浮かべた顔を、平六にぬっと突き出し、
「だそうだ。残念だったな、平六」
「……へえ」
 三八は平六に、
「どうするんじゃ、そなた。人より多めに食わねば、はたらけまい?」
「こいつらから……取ります。博奕で」
 あきれたという顔を三八と見合わせた隆兼は、
「こ奴め……。吉見領は乱さぬが、我が陣中の綱紀は掻き乱す腹づもりかっ」
 隆兼、三八、平六たちが哄笑する。
 と、鎧武者が駆けてきて、
「殿! 民部丞様がお戻りになりましたっ」

武内涼
1978年群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。映画、テレビ番組の制作に携わった後、第17回日本ホラー小説大賞の最終候補作となった原稿を改稿した『忍びの森』でデビュー。2015年「妖草師」シリーズが徳間文庫大賞を受賞。さらに同シリーズで「この時代小説がすごい! 2016年版」〈文庫書き下ろし部門〉第1位に。2022年『阿修羅草紙』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著書に、「戦都の陰陽師」シリーズ、「忍び道」シリーズ、「謀聖 尼子経久伝」シリーズ、『駒姫―三条河原異聞―』『暗殺者、野風』『敗れども負けず』など。

新潮社
2023年7月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

▼新潮社の平成ベストセラー100 https://www.shinchosha.co.jp/heisei100/