武将・弘中隆兼はなぜ盟友だった吉川元春と対立したのか? 厳島合戦の壮絶な人間ドラマを描いた時代小説 武内涼『厳島』試し読み

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「戦国三大奇襲」として知られる「厳島の戦い」。1555年、兵力わずか三千の毛利元就軍が10倍の陶晴賢軍を安芸国・厳島におびき寄せ、奇襲を成功させた名勝負の影には、知られざる壮絶なドラマがあった――。

 戦国最恐の智将・毛利元就の戦いぶりを、陶方の武将・弘中隆兼の視点で見ることで、乱世の厳しさを切実に描いた時代小説『厳島』が刊行しました。

『阿修羅草紙』で第24回大藪春彦賞を受賞した武内涼が、対照的な2人の男を通して人間の矜持を問う歴史長編とは?

 謀略を以て勝利した元就と、義を貫いて敗れた隆兼――運命に翻弄される山陽道一の忠臣・弘中隆兼の登場場面を試し読みとして公開します。

 ***

 

秘計

 日本三景──陸奥の松島、丹後の天橋立、安芸の宮島(厳島)。
 宮島に宮、つまり神社が建てられたのは推古天皇癸丑年(五九三)。
 後に厳島神社と呼ばれる社である。
 竜宮を思わせると讃えられた海上社殿は、平清盛の手できずかれた。
 祭神は宗像三女神。市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命。天照大御神の命で玄界灘に向かったという三人の海の女神だ。
 清盛が、国司をつとめた国の海神の社に注目したのも宜なるかなと、元就は思う。
 瀬戸内海は、古来、物流の大動脈だった。
 この海の道は二つの先進地域──畿内と九州をむすぶだけにあらず。
 もっと遠い異朝ともつながっている。
 たとえば中国大陸。
 清盛の頃は、南宋、元就の頃は、大明と。
 さらに博多商人の手で朝鮮半島の文物が、薩摩や琉球を通じて東南アジアの物産も盛んに流れ込む。
 小山に立ち一日内海を眺め船を数えてみればよい。何艘も行き交い、しまいには、数えるのが億劫になるはず。
 今、元就が舟でゆく富の大動脈を、四百年前一手ににぎっていたのが、平家一門。
 少し前までは大内と細川がにぎっていた内海の道を……今は大内、細川、二家を内から食い破った、二人の男が、掌握している。
──陶晴賢と三好長慶。いずれも下剋上の雄である。長慶は細川晴元に仕えていたが、やがて晴元から全権をもぎ取り畿内から四国にかけてを治めている。
……わしは陶を討ち、いつかこの海の全てを手に入れてみせよう。
 元就は鳥居の先、海に浮かぶ寝殿造りを眺めつつ、誓った。
 志道邸をおとずれてから数日後。小姓、岩夜叉をつれた元就は、厳島に詣でる家来、児玉就方の供にまぎれ込み、極秘裏に陶領・宮島を目指している。
──今日、厳島にゆくのを陶に知られたくない。
 痩せ細った元就、よれよれの小袖をまとい、直垂姿の家来の後ろにそっと立つと、細やかな家政を得意とする老臣の如く見え、廿日市の町でも何ら怪しまれなかった……。
 青空の下、黝然たる緑霞を孕んだ弥山が社の裏から、元就を見下ろしている。
 弥山は標高五三五メートル。厳島最高峰だ。
 舟はやがて海神の社に向かって左、有ノ浦なる浜につく。
 有ノ浦は問丸や船大工の家、土倉、異国のめずらしい品を商う唐物屋や、島の者たちのための米屋、櫛屋、紉屋、青物売りの店が軒をつらねる、にぎやかな町だった。都の大商人に肩をならべる有徳人も暮している。
 元就が乗る舟がついてすぐ後に、米俵を満載した小舟が漕ぎ寄せる。
 厳島育ちの小姓、岩夜叉は、島の青き山並みに白い顔を向け、
「島の樹を濫りに伐ってはなりませぬ。田畑にするため、更地にするなど、もっての外。故に厳島には、田畑というものがありませぬ」
──農耕が禁じられた島なのだ。
「米も、芋も、全て対岸からかうのです」
 児玉就方に話している岩夜叉だがむろん元就におしえている。
 米俵を下ろす男衆のかけ声、カモメの鳴き声、町娘の話し声が耳を揺すり、魚や牡蠣を焼く匂いが鼻をみたしたが、元就の双眸は──何の変哲もない小山に向いていた。
 舟から、厳島に、降りつつ、
「あの山は、何というのでしょう? 岩夜叉殿」
 岩夜叉より目下の侍になり切った元就の扇がある一つの小山を指す。
 丘といってよいその小さな山は陶昵懇の有ノ浦の大商人、紉屋弥七郎の店を見下ろしていた。弥七郎の紉屋は小さき山に背中を押されながら海に顔を向けている。
「宮ノ尾だ。……森田殿」
 小姓が遠慮がちに答える。
……宮ノ尾……。
 厳島に童の頃から詣でている元就だが、今あらためて観察すると気づく処が多い。
 岩夜叉より鈍い処がある児玉就方が、宮ノ尾をじっと睨む元就に、
「……では、参りますぞ」
──たわけ。わしはお主の家来を演じておるのじゃ。怪しまれたら、如何する。
 元就は渋面をつくる。しまったという顔になった就方は、
「……参るぞ」
 十数人の児玉就方一行は厳島大明神に詣でる。
 参詣の後、就方は、神主のもてなしを受けたが、顔を知られている元就は別行動をとっている。
 岩夜叉と、手練れ四名をつれ、有ノ浦から宮ノ尾に登り、人気がない藪の中を念入りに歩いた。その後、海辺にそって北東に向かっている。やがて岩場が大きく切り立ちゆく手をはばむ。松を頭の上に生やした岩場は、青海苔をかけた大きな握り飯に見えた。
 案内役の岩夜叉は右手の細道に、入る。
 小姓の体は南国的な密林に左右をおびやかされた薄暗がりに吸い込まれた。
 元就らも、つづく。
「馬酔木、樒など毒のある木が多いのは、鹿が食わぬためです」
 この島では狩りも禁じられており鹿が保護されている。
 今も、細長い照葉をこれでもかと茂らせたミミズバイの木や、馬酔木、樒などが繁茂する薄暗い細道に、鹿の母子が現れ、先導するかの如くゆったり歩いている。人を恐れる素振りがまるでない。
──狩りにおびえる、吉田近くの鹿とはえらい違いじゃ。
 鹿がミミズバイの茂みに消え、岩夜叉が、道に横たわっていたヤマカガシを踏みそうになり、半身が赤い、その蛇がむっとしたように大きな羊歯どもの中に消えた時、後ろをゆく家来が、
「大殿、御足から血が……。山蛭にござるぞ」

武内涼
1978年群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。映画、テレビ番組の制作に携わった後、第17回日本ホラー小説大賞の最終候補作となった原稿を改稿した『忍びの森』でデビュー。2015年「妖草師」シリーズが徳間文庫大賞を受賞。さらに同シリーズで「この時代小説がすごい! 2016年版」〈文庫書き下ろし部門〉第1位に。2022年『阿修羅草紙』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著書に、「戦都の陰陽師」シリーズ、「忍び道」シリーズ、「謀聖 尼子経久伝」シリーズ、『駒姫―三条河原異聞―』『暗殺者、野風』『敗れども負けず』など。

新潮社
2023年7月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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