学校一のワルが校長室に乱入! その時ウィッキーさんはどう動いたか

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 最近では「最高の教師」、少し前ならば「ごくせん」「女王の教室」、もっと遡ると「GTO」「スクールウォーズ」「3年B組金八先生」「熱中時代」等々、学園ドラマの人気は根強い。

 これらドラマの一つの定番は、問題を抱えた学校、クラスに外から新しい先生が入って来ることによる「化学反応」を描くという展開だろう。結果として、札付きのワルが改心するのである。

 実際にそういうことがどのくらいあるのかは不明だが、ここでご紹介するのは、「ワンポイント英会話」でお馴染みのウィッキーさん主演の「学園ドラマ」的エピソード。

「ズームイン!!朝!」で人気を博していた1981年、ウィッキーさんは講演である学校を訪れる。この頃、全国の学校は荒れていた。校内暴力事件は2085件と過去最高を更新し、この年に検挙・補導された児童・生徒は1万468人とピークに達していた時代である。

 ここでウィッキーさんは不良生徒に詰め寄られるのだが――。

(以下、ウィッキーさんが半生を語った著書『グット・モーニング! ウィッキーさんの街角英語』より抜粋・再構成しました)

 ***

たばこを吸う生徒たち

「ズームイン!!朝!」を続けるうちにいろいろな依頼が来るようになりました。特に印象に残るのは、1980年代に関西の中学校を訪問したことです。当時は、ちょうど日本の学校が荒れていた頃でした。

 この時期だからこそ、学校に行き、現場を見ようという大阪・読売テレビの発案で、「ズーム~」の関西ロケの後に中学校などを訪問し、英会話を交えて講演を行うことになったのです。1日に複数校行きましたから、4年で200校くらいにはなったと思います。

 当時はだいたい現場に行くと、校門の外でたばこを吸ってる子がいて「おーいウイッキー。何しに来た!」なんて言われるわけです。

 ある中学校を訪れたときのことです。講演の終わりに生徒を壇上に上げて、簡単な英語のやりとりをするんですが、講演をまともに聞いていない学校一のワルだという生徒を壇上に上げてしまいました。普段はそういう子は避けるのです。壇上でも一言しゃべらせるのに苦労したのですが、問題はその後でした。

校長室に乱入してきたワル

 校長室で校長先生と話していると、突然彼が入ってきました。

「君どうしたんだ」

「校長、あんたに用はない。ウイッキー、俺にも本くれよ」

 私は英会話の本を何冊か出していて、番組で答えてくれた方にお礼として差し上げていました。彼は、それが欲しいというのです。

「番組で全部あげてしまって今はないんです。名前と住所教えてください。送りますから。」と答えると、

「大人はみんなそう言うんだ。うちの親も同じだ。何か言えば、いつも『後で』。でも誰も約束は守ってくれない」と怒っています。

 結局、校長がとりなして、私が本を送ると約束してもらいました。

ひらがなばかりのお礼状

 本を送ってしばらくして、彼の手紙が私のもとに届きました。字は汚くてひらがなばかりですが、家庭の不和、親からの虐待、大人への不信――。ため込んでいたものを吐露するかのような内容でした。

 そして、最後に「初めて約束を守ってくれた大人に出会った」と感謝の言葉がつづられていました。彼に対する批判はいくらでもできるでしょう。でも、約束を守るということが彼にとって大事だったのです。
 
 後で校長先生に聞くと、彼の授業態度は変わり、英語の授業で一番前に座るようになったそうです。その影響で学校の雰囲気も良くなったということでした。

 当初、この企画にあまり乗り気ではなかったのですが、たくさんの生徒と交流するうちに、生まれついての悪い子はいないのだと実感させられました。

 成人式の講演がありあすよね。同じことが言えます。講演をやる人の間で一番評判が悪くて断る人が多いんですね。酔っぱらってどなる新成人もいます。でも、真に受けて怒ってしまってはダメ。私は、彼らに言葉を投げる投手ではなく、彼らの気持ちを拾い上げる捕手の姿勢で臨んでいます。

アントン・ウィッキー 1936年9月26日英領セイロン(現スリランカ)生まれ。セイロン大卒。61年5月、国費留学生として東京大学へ。79~93年に日本テレビ系「ズームイン!!朝!」に出演。その後、奥羽大教授などを務め、政府や都の英語教育懇談会に参加した。

Book Bang編集部
2024年2月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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