博物館マニア・丹治俊樹が選ぶ、日本全国にあるちょっと変わった「至宝」な博物館 ~偉人編~

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岩手の雪深い町には、画期的な医療改革を行った知られざる名村長がいた!

 食欲の秋、芸術の秋、そして読書の秋。
 新しいことを学びたくなったり、知らない世界について知りたくなったり、知的好奇心も活発になってくるこの季節に「博物館巡り」はいかがでしょうか。

 日本全国にある1,100カ所以上もの博物館を、約8年半かけて訪問した“博物館マニア”の丹治俊樹さんは、「日本には、さまざまな場所に魅力的な博物館が存在する。それはまさに、「至宝」と呼ぶに相応しい」と言います。

 そんな丹治さんが、巡り合った中でも一風変わった博物館とは?

 歴史の教科書に登場するわけではないが、その土地や日本の文化・経済の発展に寄与した知られざる偉人を紹介する博物館を、丹治さんの著者『世にも至宝な博物館』(みらいパブリッシング)の中から一部抜粋・編集してご紹介します。

深澤晟雄資料館(岩手県)

 岩手県の西側に位置する西和賀町。秋田県にほど近いこの旧沢内村では、かつて全国自治体初の乳児死亡率ゼロを達成し、60歳以上の医療費を無償化にするなど、医療における画期的な生命行政が行われていた。

 かつて、豪雪、貧困、そして多死多病にあえいでいたこの村を救ったのは、深澤晟雄という村長だった。この偉大なる村長の功績を後世に伝える施設として、西和賀町内に「深澤晟雄資料館」という小さな資料館がひっそりと佇んでいる。

 明治38年に、岩手県和賀郡沢内村に生まれた深澤晟雄。もともとは医師を目指していたものの、医師に向いていないとのことで東北帝国大学の法文学部に入学。上海銀行に就職して中国へ渡り、その後は台湾、満州へと渡って終戦後に帰国。その後は、少しばかり佐世保で働くも、最終的には故郷へと帰ってくることとなった。

 町に帰ってきたあと、村を改革すべく村長になった深澤がまず取りかかったのは、ブルドーザーの導入だった。沢内村は豪雪地帯であることから、冬になると道路は雪で埋もれ、それによる便の悪さは深刻。そのため、医者が近くにいない場合は診察に行くこともできず、「お医者さんに診てもらうのは死亡診断書をもらう時だ」と言われるほどだったそうだ。紆余曲折はあったものの、最終的には小松製作所から3年の分割払いで借りることで除雪が可能となり、交通の便が良くなった町には希望が溢れた。

 まだまだ改革は続く。村には、貧困でお金が無いことから村民が病院に行けない問題もあった。そこで、村で保健婦を雇い訪問指導や検診を開始。さらには、村が思い切って高齢者の医療費を十割給付、つまり無償化とした。これは国保法に抵触するものの、「最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法の一文を掲げて、裁判を起こされても良いと動じず、固い意志を貫いた。

 こうした医療改革を行ったことで、毎年7%ほどだった沢内村の乳児の死者数は5年でゼロに。これは全国で初めての偉業となり、深澤は「生命村長」とも言われるようになった。ただし、この偉業は本人の努力だけでは成し遂げられなかった。資料館には深澤の名を用いてはいるものの、深澤晟雄個人をたたえているだけでなく、住民、さらにはお医者さんなど皆の功績をも伝えていきたいのだと、資料館のスタッフが語ってくれた。

「豪雪、貧困、多死多病」を克服した沢内村。深澤晟雄が亡くなったあと、この村におけるたくさんの資料を収集・管理することを目的に、平成19年に「NPO法人 深澤晟雄の会」が作られ、翌年に資料館が開館。

 広く知られてはいないものの、偉大なる村長、住民、そしてお医者さんの協力があって医療行政の改革を行った功績を語り継ぐ、大変貴重な資料館。ただし、豪雪地帯ということもあり、冬の間は雪の影響で休館している可能性があるので、その点はご注意を。

みらいパブリッシング
2023年10月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

みらいパブリッシング

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