『道長ものがたり』
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『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか――』山本淳子著
[レビュアー] 岡本隆司(歴史学者・早稲田大教授)
最高権力者の心 女たち
どうやら『源氏物語』をもじったタイトル。今年の大河ドラマは、その作者・紫式部が主人公とあって、関連本の出版はおびただしい。手にとった本書のオビにも、「大河ドラマ」が「深く理解できる」とある。
もっとも、便乗本にとどまるまい、とは開巻前から予想はついた。本書は『源氏物語』研究の第一人者が、『物語』の同時代人にして関係者、あるいは光源氏のモデルとも見られる藤原道長を描いた「ものがたり」である。道長といえば、当代比肩なき権力者・政治家だから、およそ歴史研究の対象であって、なればこそ歴史家の食指も動いた。
文学の視点からする本書の本領は、著名な「望月」の和歌をはじめ、時々の人間関係、およびそれがもたらす数々の事件にあたって、道長が何をどう思ったのか、「心」の描出につとめたところにある。その点、王権や権力構造ばかりに気を取られ、「心」に頓着しないヤボな男性史家には、とても新鮮であった。
道長が最高権力者にのぼりつめたのは、政敵の没落や入内した娘たちの出産など、多くの幸運が作用している。紫式部もふくめ、そこに関係した女性の存在・役割は、歴史学でも必ず言及があるけれど、やはり一般には見えづらい。
本書は道長の「心」を通して、そんな隔靴掻痒(かっかそうよう)も解消してくれる。とりわけみごとな造形を見せるのは、「煙たい存在」の娘・彰子と「頭が上がらなかった」妻・源倫子だろう。繊細犀利(さいり)な観察で、今とはまるで異なる当時の女性の地位・役割を、誰でもわかる筆致で描ききった。
歴史学の成果を多くとりいれ、その立場・言動を復元したのも特徴。歴史事実とのギャップを抑えつつ、文学的興趣を前面に押し出した。
「日本紀などはただかたそばぞかし」。「『ものがたり』にこそ道々しく、くはしきことはあらめ」。歴史に対する文学の優越、玉鬘と紫式部の言い分を納得させる一書でもある。(朝日選書、1870円)