『森林通信 鴎外とベルリンに行く』伊藤比呂美著

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森林通信―鷗外とベルリンに行く

『森林通信―鷗外とベルリンに行く』

著者
伊藤比呂美 [著]
出版社
春陽堂書店
ISBN
9784394770107
発売日
2024/02/21
価格
1,980円(税込)

『森林通信 鴎外とベルリンに行く』伊藤比呂美著

[レビュアー] 尾崎世界観(ミュージシャン・作家)

文豪と「草」豊かな地へ旅

 ドイツの友人に誘われ、ベルリン自由大学の研究プログラムに参加することになった著者は、かつて森鴎外が留学していたその地を訪れる。そこで現在から過去、そしてまた現在に思いを巡らせ、自身と鴎外との繋(つな)がりを見つめ直す。森林通信というだけあって、作中にはよく植物が出てくる。笑える状況や面白いものを指して、ネット上などでよく「草生えるww」というスラングを目にするが、草は生えていたほうがいいし、それこそが自然な状態だと、これを読んで思った。物語が展開しようとすると、必ずそこに植物が出てくる。その都度、風に揺れたり、体に絡みついてくる草や木や花に、思考を遮られて鬱陶(うっとう)しい。でもその煩わしさに、これまで綺麗(きれい)に刈り取って整理された文章ばかり読んできたと気づかされる。

 気の赴くまま勢いで、行動力溢(あふ)れるように見えても、著者の周りには常に独特の気まずさが漂っていて、それが良い。行き先のわからない電車やバス、使う言語が違う者同士がする英語での頼りない会話、美味(おい)しいドイツ料理、頼れるベルリンの友人、会ったばかりの外国の詩人と手を繋いで降りる山道など、もう草が生えまくっている。「森鴎外」はただのきっかけに過ぎない。きっかけさえあればいつでも旅を始められるし、きっかけさえあればどこへでも行ける。周りに振り回されたり、周りを振り回したりしながら、心地よく気まずい旅は続く。

 「彼女を抱きしめ、また抱きしめた」

 たとえば、終盤に出てくる印象的なこの文章の中にも、やっぱり草が生えている。ただ意味を伝えるだけなら「彼女を2度抱きしめた」と書けばいい。でも、言葉に草を生やさずにはいられない気持ちが、文章からまるごと伝わってくる。だから決してそれを笑えない。こちらの都合に関係なく、当たり前に勝手に生えている。そんな植物にしっかりと目を向け、それをかき分けて、書き分ける。(春陽堂書店、1980円)

読売新聞
2024年3月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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