『放蕩記』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
明文堂書店石川松任店「ある母娘が辿った軌跡」【書店員レビュー】
[レビュアー] 明文堂書店石川松任店(書店員)
《幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。》(「アンナ・カレーニナ」木村浩/訳)というのはロシアの文豪トルストイの名作の冒頭の一節ですが、《幸福》や《不幸》という一語で片付けられるほど家庭って単純(意外と単純なのかもと思うことも多々ありますが……)なものなのかな、と密かに反発心(この一文に対しての話ですよ)を抱いていました。一目見て《不幸》な家庭というのはもちろん大変だと思いますが、一見すると《幸福》な(ように見える)家庭、あるいは《平凡》な(ように見える)家庭というのもそれぞれ大変なことを抱えているはずです。目に見えぬ小さな亀裂は気付かぬうちに広がり、気付いたときには修復不能になっているかもしれません。《不幸》は《幸福》に変わる可能性を常に秘め、そして《幸福》は《不幸》に変わる可能性を常に秘めている。そんな当たり前だが忘れてしまいがちになることを思い出させてくれるのが、本書です。
『放蕩記』を乱暴に一言でまとめる(ということに意味があるのかどうかは分かりませんが……)としたら、母と娘の確執を描いた物語です。ただこの二人の確執は誰から見ても分かるような類のもの(虐待、育児放棄、家庭内暴力といったような)ではなく、娘の夏帆は《――わだかまり。//そんな簡単な言葉でくくれるようなものではない、と夏帆は思う。しかしまた逆に、それ以外には言いようがない気もする。》と考えています。躾は厳しかったが誇らしかった母が、厭わしく疎ましくなってくる関係の変化とその心情の揺れ動きが胸に迫ってきます。そして母親への嫌悪が合わせ鏡のように自身への嫌悪に繋がり、嫌でも母娘ということを意識せざるをえない苦悩がとても印象的です。母娘関係の亀裂は広がり、もうある時期から修復不能になってしまっていたのであろうことが、子供時代のいくつものエピソードから強く浮かび上がってくる。
夏帆の物の見方はかなり尖っていて、所々受け入れがたい部分もあったのですが、ただ同時にその部分にその人の個性が表れていて魅力的でもありました。もっとも身近な相手との人間関係の繊細な揺れ動きをひとつの母娘の姿に託して描いた素晴らしい作品です。