『セルバンテス ポケットマスターピース13』
- 著者
- ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ [著]/野谷 文昭 [編集]/三倉 康博 [編集]/吉田 彩子 [訳]
- 出版社
- 集英社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784087610468
- 発売日
- 2016/12/16
- 価格
- 1,430円(税込)
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【文庫双六】とことん騙された超有名人といえば――野崎歓
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
騙し騙される者たちの姿がスリリングでもありチャーミングでもあった『カラスの親指』。続いて手に取りたいのは、とことん騙され続ける才能においてこれをしのぐ御仁はいないという超有名人の物語である。
ドン・キホーテの名は激安チェーン店の名前にもなっているから知らない人はいないだろう。でも失礼ながら、原作を読んだことのない人が大勢おられるのでは? そんな皆様に朗報あり。野谷文昭による新訳がむちゃくちゃに面白い!
すっと頭に入ってくる、しなやかな訳文が魅力的で、格調高くも馬鹿馬鹿しさ満載。「憂い顔の騎士」またの名を「情けねえ顔の騎士」を好きにならずにいられない。
「彼は本の虫となり、毎夜一睡もせず、夜が明ければ日が暮れるまで読書三昧というありさまだったので、寝不足と読みすぎが原因で脳みそが干からびてしまい、正気を失った」。あげくのはて、荒唐無稽な騎士道物語を信じ切って一念発起、冒険の旅に出る。
つまりドン・キホーテとは、われらが範とすべき最強の読書家にして、空想世界を現実化する超人なのだ。下賤な女を前にして姫君だと言い張る彼は確かに正気ではない。でも見よ、周囲もその狂気にぐいぐいと巻き込まれていくではないか。
それにしても彼をそこまで狂わせた騎士道小説って何? と昔から不思議だったのだが、嬉しいことにドン・キホーテ氏最愛の名作『ティラン・ロ・ブラン』が文庫化された。ロンドンがイスラム教徒に占領される冒頭から、いや凄まじい。騎士道とは血闘に次ぐ血闘であることがわかる。そのたびに大怪我を負うも、治す暇もないまま次なる対決に向かわねばならない。
なるほど、ドン・キホーテが始終ボコボコにされながら決してへこたれないわけがわかった。その点でも彼は騎士道小説の内容を忠実に実践していたのだ。
書物に魂を捧げた者にとってはどんな現実も恐れるに足りない。ドン・キホーテの偉大な教えである。