日本人として生きることを選んだアメリカ人建築家ヴォーリズを描く長編小説〈刊行記念対談〉門井慶喜『屋根をかける人』×阿川佐和子

対談・鼎談

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屋根をかける人

『屋根をかける人』

著者
門井 慶喜 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041047507
発売日
2016/12/21
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『屋根をかける人』刊行記念対談 門井慶喜×阿川佐和子

教会や学校など多くの建物を手がけた建築家として、また、メンソレータムで知られる近江兄弟社の創業者として、日本近代史に大きな足跡を刻むウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
華族の娘と結婚し、日米開戦前夜に日本に帰化するなど、その波乱の人生を描いた門井慶喜さんの小説『屋根をかける人』が刊行されました。
著者の門井さんと、ヴォーリズ建築で学生時代を過ごした阿川佐和子さんが、その魅力についてヴォーリズ設計の山の上ホテルで存分に語り合いました。

母校の記録書を作ったことで
ヴォーリズとの縁が生まれた

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門井 今日はいろいろと資料を持ってきました。これは東洋英和女学院の創立八十周年の記念アルバムですが……。

阿川 あっ、懐かしい! わたしも持ってるはずですよ。どこにやっちゃったかしら。

門井 阿川さんは、ヴォーリズが設計した校舎のあった東洋英和女学院のご出身ですが、ヴォーリズへのご関心は在学中から?

阿川 いえいえ。通っている間は誰が設計したかなんて気にも留めていませんでした。きっかけは、一九九三年に校舎が老朽化で取り壊されることになって、当時アメリカに住んでいたわたしに雑誌取材の電話がかかってきたことです。その時は深い考えもなく「残念ですね」というようなことをお話ししたんですが、「東洋英和の卒業生は残念と言うだけで、具体的に動こうとしない」と記者の方に怒られちゃって。

門井 取材なのに怒られましたか(笑)。

阿川 帰国後、たまたま大学の建築学科で講師をしていた友人から「東洋英和の校舎の記録書を作るから手伝って」と声をかけられたんですよ。あ、これはやれってことかなと思って、ヴォーリズについて調べ始めたんです。その記録書が縁となって、建築シンポジウムや講演会に呼ばれるようになり、なぜか今では「博物館明治村」の村長にまでなっちゃいまして。門井さんは、またどうしてヴォーリズを書こうと思ったんですか?

門井 僕は子どもの頃から歴史が好きで、いまは歴史小説を書いているんですが、建築物にも興味があるんです。どちらの興味も満たすことができる上に、さらにヴォーリズはやり手の商人でもある。僕は商人の息子なんです。

阿川 ご実家は何をなさっているんですか?

門井 料理屋です。宇都宮で最初に近代的ケータリング事業を始めたのは俺だと、亡き父がよく言ってました。史実かどうかはわかりません(笑)。もともとヴォーリズが来日したのはキリスト教を伝道するためで、その口実として英語教師をやりました。建築家になろうなんて夢にも考えてはいなかったでしょう。それが建築家として大成し、全国に作品を遺しているのは驚異的です。

阿川 生涯で千五百件くらいでしたっけ。国内だけでなく、満州や韓国にもつくって。どうしてそんなに人気が出たんでしょう。

門井 調べてみて分かったんですが、ヴォーリズは当時の建築家にしては珍しく、見積もり額をきっちり守る人だったんです。主な依頼主である日本のキリスト教関係者は裕福ではないんです。なけなしの寄付をかき集めて、教会の建築費にあてている。だから「予算が倍になっちゃった」とか言われると困るんですね。ヴォーリズは、そこでまず評価を得たんだと思います。

阿川 明治・大正期に外国人が建てた洋館は、「これはこの人の作品」という強い主張がありますが、ヴォーリズ建築にはそれがない。依頼人のご意向のままにという感じ。だから建築学の専門家からは、軽く見られてしまうところがあるんですよね。

門井 同時代に活躍したフランク・ロイド・ライトとは対照的です。その空間をいかに自分色に染めるかを最優先するのがライト。彼が手がけた帝国ホテルは予算が三倍にふくれあがっても完成せず、工期も遅れ、とうとうホテルの取締役全員が辞表を出しました。

阿川 建築家の思想や意匠を第一義にするという風潮は、明治以降もずっと続いていますよね。だから、建物はステキなんだけど、なんか住み心地は悪いっていうような……。

門井 もしライトが東洋英和を設計していたら、阿川さんたちも大変でしたね。壁紙ひとつ傷つけるだけで先生から大目玉で。

阿川 そこらじゅうの段差で膝を打ったりしてね(笑)。ヴォーリズがいちばん大切にしていたのは、そこに住まう人がいかに居心地よく過ごせるかということ。そのためには少しくらい意匠が変でも気にしない。滋賀の近江八幡にヴォーリズが設計した結核療養所があったんですが、家族から離れて暮らす患者たちが淋しく思わないように、窓ガラスをたくさんつけている。その発想はとっても素晴らしいんですが、光を採りこむために壁面がでこぼこしていて、見た目がかっこ悪いの。

門井 ヴォーリズは、日光にこだわりましたから。もともと日本家屋の発想では、できるだけ日の光を入れないようにするんです。軒を長くして、障子紙を張って。谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の世界ですね。日本は夏の暑さが厳しいから、それをしのぐことを最優先にするわけですが、アメリカで生まれたヴォーリズには、それが異様に見えたんでしょう。

意外としたたかで商売上手?
一筋縄ではいかない人間性

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阿川 わたしがヴォーリズのことを勉強し始めた頃は、まだ近江八幡に生前のヴォーリズを知っているという方がいらしたんですよ。いろいろお話をうかがうと、ヴォーリズって気弱な人だったみたい。当時はアメリカの青年が大志を抱いて、世界中にキリスト教を広めるために旅立っていったわけだけど、ヴォーリズが日本に着いて最初に呟いた言葉が「アイムロンリー」だったって。

門井 大志を抱いていませんね(笑)。

阿川 そもそも日本にやって来たのも、アメリカでの失恋が関係しているそうなんです。辛い思い出のあるアメリカにはもう住みたくないと。その後、満喜子さんというしっかり者の日本人女性と結婚するわけですが、昔の恋人が忘れられなくて、自分が設計した教会の窓をアメリカに向けていた。それを知った満喜子さんが嫉妬した、なんていう話もうかがいました。

門井 それはすごいエピソードです。ヴォーリズの自叙伝を読んでいても、女性絡みの話はほとんど出てこないんです。意図的に隠していたのかもしれませんね。この対談、執筆前にやればよかったなあ(笑)。

阿川 又聞きの情報ですから、確証はありませんよ(笑)。めそめそした優柔不断な人だったのかと思いきや、門井さんのご本を読むと、意外にしたたかな面もあったんですね。そこが面白い。学生時代から商才に長けていたとか。

門井 言葉は悪いですけど押し売りタイプというか(笑)。この品物を買うとどんなメリットがあるのかを延々と説いて、ついには財布を開かせてしまう。メンソレータムの販売も、そういう性格だから成功したんじゃないでしょうか。戦前のメンソレータムの広告を見ると、頭痛や歯痛、美肌にまで効くと書いてある。たぶん本場アメリカより効能が増えてます。

阿川 勝手に増やしちゃったんですか?(笑)ヴォーリズって誰、という質問に対するいちばんシンプルで分かりやすい答えが、「日本でメンソレータムを販売した人」。

門井 論争好きでもあるんですよ。晩年アメリカに一時帰国した際、ベジタリアンの人と論争になって、「肉を食べないというけど、お前の靴は牛革製じゃないか」と言い負かした。こういう性格は生涯変わらなかったみたいです。そのいっぽうで「アイムロンリー」(笑)。

阿川 そういう一筋縄じゃいかないヴォーリズの魅力が、今回のご本ではよく出ていました。わたしがずっと不思議に思っているのは、ヴォーリズは近江八幡の商業高校を一方的に辞めさせられるじゃないですか。それなのにどうして近江八幡で暮らし続けたのかしら。

門井 あ、なるほど。

阿川 電車に乗ったらすぐ大阪や京都に出られる距離でしょう。もう自由の身なわけですから、どこに行ってもいいはずなのに。

門井 これはあくまで推測ですけど、近江八幡というのは江戸時代から近江商人のふるさとで、お金もうけが善とされる土地柄ですから、ヴォーリズの気質に合っていたんじゃないでしょうか。それと当時のあそこはまだ田舎で、キリスト教信者の数もそう多くなかった。そういう土地だからこそ伝道のしがいがある、と燃えたのかもしれません。

阿川 大都市よりも自分の入っていく余地があると。

門井 後年、財をなしたヴォーリズは伝道船を手に入れるんですが、その名前が「ガリラヤ丸」っていうんです。ガリラヤはもちろん、イエス・キリストの伝道の地。自分をキリストと重ねるような、不遜きわまる(笑)野心があったんじゃないか。そう思いますね。

歴史的会談をセッティング
皇室とヴォーリズの関係とは

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――『屋根をかける人』には終戦後、日本の皇室を守るため近衛文麿とマッカーサーの会談をセッティングし、昭和天皇に感謝されたという秘話も描かれています。

門井 この話はノンフィクション作家の上坂冬子さんが「天皇を守ったアメリカ人」というタイトルで『中央公論』にお書きになって、広く知られるようになったものです。あらためて調べ直してみたんですが、なんとか皇室を残したいと思った近衛が、マッカーサーへの仲介をヴォーリズに依頼したというのは史実。ただ会談の実現にどれだけヴォーリズが関与していたのか、そこはよく分からないんですね。密室で事が進みますから。そこで小説では真偽にこだわるよりも、ヴォーリズの心に注目しました。戦時中はアメリカ人というだけでスパイ扱いされて、日本国籍を取得してもまだ意地悪されつづけた彼が、戦後は一転、天皇制を守った人物として感謝される。いったいどんな気持ちがしたんだろうなと。

阿川 最近、神戸女学院が国の重要文化財に指定されたんです。神戸女学院は東洋英和と同じ年に、ヴォーリズが建てたものなんですが、阪神淡路大震災でもびくともしなかった。ということは、東洋英和もがんばって保存できたんじゃないかと……。もったいないことをしました。

門井 僕がこの小説を書いた理由もそこなんです。ヴォーリズの人物が広く知られることで、ひとつでも多くのヴォーリズ建築が保存されるようになればいい。この本をきっかけに、興味を持ってくださる方が増えれば嬉しいですね。

門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年、群馬県生まれ。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』が相次いで直木賞候補となる。著書に『シュンスケ!』『ゆけ、おりょう』など。

阿川佐和子(あがわ・さわこ)
1953年、東京都生まれ。インタビューや司会業のかたわら、作家としても活躍。99年の『ああ言えばこう食う』(檀ふみとの共著・第15回講談社エッセイ賞受賞)など著作多数。『聞く力 心をひらく35のヒント』は記録的なベストセラーとなった。

取材・文|朝宮運河  撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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