建築は美術品ではない。そこに暮す人たちを久しきにわたって守り、励まし、癒やすもの――優しさと想像力を隠し持つ人物、建築家ヴォーリズ

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屋根をかける人

『屋根をかける人』

著者
門井, 慶喜
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041047507
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

優しさと想像力を隠し持つ人物、ヴォーリズ

[レビュアー] 内田樹(思想家)

 ふだんは書評を引き受けない。本の読み方は読者の自由に委ねられるべきで、他人があれこれ口を出すのは「よけいなお世話」だと思っているからである。ただ、題材がヴォーリズとその建築と聞いて、つい「よけいなお世話」がしたくなった。というのは、私はこの人が設計した建物の中で二十一年間を過ごしたことがあるからである。その話をしたい。

 四半世紀前に私は神戸女学院大学に採用された。与えられたのは図書館一階の暗い小部屋だった。でも、生まれてはじめて「自分だけの研究室」というものに腰を据えることができて私は上機嫌だった。暇だったので(今の大学人には信じられないだろうが)、私は学内を探険して歩いた。そして、ヴォーリズが設計した建物がそれ以外の校舎とまったく別の建築理念に基づいていることに気がついた。

 ヴォーリズの建物は合理性とも効率性ともみごとに無縁であった。教室も研究室もすべて間取りが違い、サイズが違う。ふつう水回りはまとめるものだけれど、一階と二階ではトイレの位置が違う。同じ高さの建物が向き合って建っているが、一方は二階建てで他方は三階建て(外から見ると二階建て)。隠し廊下があり、隠しトイレがあり、隠し屋上がある。「なんだ、これは」と最初のうち私はひどく驚いた。でも、そのうち建築家の意図が少しずつわかってきた。

 こういうことなのだ。入学したての好奇心旺盛な学生が廊下の奥にある知らない部屋のドアノブを回してみる、どこに続くか知れない階段を上ってみる。そういう学生たちに建築家はすばらしい贈り物をしていた。ドアを押し開け、階段を上る勇気を持った学生たちが出会うのはつねによそへ通じる扉か広々とした窓である。「こことは違う世界への出口」か「見慣れた風景を見下ろすふだんとは違う視点」のいずれかを贈られるのである。これはそのまま学びの比喩になっていると私は思った。教育が若者たちに贈ることができるのはそれに尽くされるからである。

 ヴォーリズの建物は造形的にはそれほど美しいものではない。彼の真価はその中で暮さないとわからない。

 『屋根をかける人』の中でも、ヴォーリズの建物が外見よりも「使い心地」優先のものであることが指摘されている。広岡浅子が自宅の設計を頼むときにこう言う。

「あんたはんの建物は、見た目よりも内部の暮らしやすさに取り柄があるいう話を聞きましたよってな」

 出来た建物はこんなふうだった。

「外観はもちろん洋風。直線アーチの窓が多すぎるのがやや洗練を欠いているけれど、これも外観より内部の心地よさを優先するメレルの思想の結果だった」

 それがヴォーリズの思想だった。何よりも暮す人たちの心と身体を安らかにすることを彼は気づかったのである。阪神の震災の時、他の建物は大きな損害を出したけれど、ヴォーリズの建物だけはびくともしなかった。施設課の人から、現在の建築基準法が指定する三倍量のコンクリートが土台に使ってあったと教えてもらった。ランプやガラスのドアノブのような消耗品は米国製だったが、それについてもヴォーリズはいずれ供給が途絶することを見込んで半世紀分のストックを命じていた。どちらも平時には決して目に見えることのない気づかいである。

 建築は美術品ではない。そこに暮す人たちを久しきにわたって守り、励まし、癒すものでなければならない。ヴォーリズはそう信じていた。この伝記小説が教えてくれるように、ヴォーリズはハンサムでもないし、スポーツマンでもないし、誠実で篤信ではあるが、妙に算盤勘定に長けた、人使いのうまい、浪漫的な気質に欠けた人だった。率直に言って、小説の主人公になるほどの人ではない。けれども、そのあまり魅力のない外見の下には、例外的に優しく、温かい、細やかな気づかいと、驚くほどに奔放な想像力を隠し持っていた。それは彼の建築とほんとうによく似ている。

KADOKAWA 本の旅人
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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