江國香織が描く50代男女の「夏」物語 読書小説の“しかけ”

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なかなか暮れない夏の夕暮れ

『なかなか暮れない夏の夕暮れ』

著者
江國 香織 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758413008
発売日
2017/02/14
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

50代男女の「夏」物語にしてしかけに満ちた読書小説

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 五十代の男女を中心に据えた群像劇。それだけでも日本の小説としては珍しいが、読書小説として面白いしかけがある。

 本ばかり読んでいる稔と、彼の姉でドイツ在住のカメラマンの雀。高等遊民という言葉を思い起させる二人の優雅な暮らしは親譲りの財産に支えられている。その財産を管理する税理士の大竹、再会して時折会うようになる雑誌編集長の淳子はともに稔の高校の同級生で、稔所有のアパートに暮らす女性同士のカップルもまた五十代である。

 その他の世代、稔の娘・波十(はと)や、姉弟が経営するソフトクリーム店の従業員らもからんで、それぞれがかかわりあいながら過ごすひと夏が、視点を次々に変えて描かれる。

 面白いのは稔が読んでいる二冊の小説―北欧ミステリと、カリブ海の島が舞台のクライムノベル―もまた、同じ稠密さで描かれることで、これといった事件の起きない本体に比べ、小説内小説ではダイナミックに人が殺される。稔の読書になにか邪魔が入るたびに中断され、その続きが語られるとは限らないし、同じ本を稔が従業員にすすめたために、彼女の視点で読まれるときは、稔が読んでいた箇所より前に戻ったりすることもある。

 読書に熱中する稔は真夏の東京で北欧の寒さを体感する。現実と虚構の境界は溶け出し、あいまいになる。これぞ読書の醍醐味と陶然とする瞬間を稔の視点で味わうことができるが、波十の母親が稔と別れた理由が、彼がいつも本ばかり読んでいることだという現実も同時に突きつけられている。

 とらえどころのなさが稔の持ち味で魅力でもある。姉の雀や娘の波十とは離れて暮らしても近いが、自宅の鍵を渡す大竹、肉体関係を持つようになる淳子からは誠意がないと言われるほどの距離を保ち続ける。店子の女性二人、女性従業員との親しさも独特。人との距離に注目して読むと、彼の輪郭がくっきりする。

新潮社 週刊新潮
2017年3月30日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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